蝶になる

蝶になる

 

このままでいいのか?

 

ふと、不安に感じる時がありました。

 

日本の食卓は
世界中から集まってくる
多くのものにあふれています。

 

子どもの頃、
バナナの出現に驚いたことを
よく覚えています。

 

遠い南国のフルーツが
目の前に来たことの不思議さ。

 

濃厚な甘さに
砂糖とは違う魅力を感じて
たくさん食べたいものだ。と
思ったものです。

 

高校生の時は「ピザ」

 

東京の友人宅に
泊めてもらいながらの
1週間の東京見物で

 

レストランのメニューで
はじめて目にしたピザの字に
「なんだろう?」と注文して

 

その美味しさに感激し、
自宅に帰ってから
探してみたら、
冷凍ものが
買えることがわかりました。

 

大学時代はバブル期。

 

大量の輸入ものの出現や
飲食店が増えていくことを
目をまるくしながら
眺めていました。

 

 

身体の弱い長男を
子育てし始めて

初めて
輸送のための防腐剤や
防虫のための
大量の薬が使われて
それが残留したものを
食べていて

その影響を受けたのだと
知りました。

 

 

毎日通うスーパーには
生鮮野菜であっても
大規模農家で作られた
遠い土地のものが多くなり

あまり美味しくないものを
栄養があると信じて
買っていました。

 

食べ物だけでなく、

衣服も、
日用品も、
乗り物も、
家具も、
建物も、
医療も医薬品も、

 

パソコンや電気製品も、

 

そしてエネルギーも、

 

こんなに買って
こんなに使って。

 

子どもたちが学校に入ると
教育現場も
大きく様変わりしていることに
驚きました。

 

田んぼのなかの道を通り
季節を肌で感じながら通学し、
石炭ストーブのまわりで
お弁当をあたためながら
友だちと遊ぶことが
一番楽しい日々。
下校してからも
また、遊びに出て
おたまじゃくしを探したり
干された稲穂に埋もれたり。

 

そんな育ち方をした私は

 

道路を歩くことさえ
危なくて目が離せない
近所で自由に遊び回れない
子どもたちの置かれた環境に
産んだものとしての責任と
大きな戸惑いで
混乱しました。

 

家の中で楽しめるもの?

 

どこかに連れていって
生き生きとできる場所なんて
あるのか?

 

習い事を増やしたり、
オモチャやゲームを買ったり。

 

たまに景色の良い
山や公園に連れて行きましたが
車に乗って遠くに行かないと
なかなか良いと思える場所は
ありませんでした。

 

こんなことでいいのか?と
思いながらも
なぜか立ち止まれない。

 

人間ひとりが生活するのに
どれだけのものが必要なのか?

 

それよりもっと
大切なことが
あるんじゃないのか?

 

増え続けていくことを
疑問に思いながらも

ただ情報を集めて
良いと思えることを
選んでいくようにする
ぐらいしかできなかった。

 

いつかは、
見直さないといけない
だろう。

それは、
いつかは分からないけど。

 

どうなるんだろう?
子どもたちの生きる未来は?

 

 

いまの私たちは 芋虫。

 

体重の何倍もの葉を
黙々と食べ続けている。

 

何でもかんでも口に入れ
試してみないとわからない。

 

ムシャムシャと
ものすごい勢いで

 

手当たり次第に

 

葉の本体の
木を枯らしそうな
勢いで
突き進んでいる。

 

環境破壊。

 

わかっていても
自らの役割を果たすしかない。

 

命を守るのはイモムシの仕事。

 

ある日、突然 ストップ。

 

あらかじめ
決まっていたかのように
静かになる。

 

死んでいるように
固まってしまった中で
奇跡が起こっている。

 

極限まで太らせた
その身体自体を溶かして

 

まったく別のものへと
変化を始める。

 

 

古いものと新しいものが
共存している間に

命を守るのは
イモムシの仕事だった。

 

だから、

 

イモムシを嫌っても解決にならない。

 

蝶が好きなら
イモムシを踏みつぶしたりしない。

 

 

まったく違うものへ
自分の中から変わろうとする。

 

自分で気づいて
変わることができる。

 

新しい循環が始まる。
多くのものの仕組みが変わる。

 

その奇跡が
起こることを
知っているから

 

いまは、
これでいいんだと

 

安心しています。

 

このままで、いいんだ。と。

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子供への想い②

子供への想い②

 

私は、

この人が 好きだったんだ。

 

 

「私の生んだ子」

「年齢差」

「性別」

「問題だと思っているところ」

 

これらを全部取り払ったら

 

「好きな人」だと

気がつきました。。

 

 

純粋な気持ちで見直すと

 

 

無理をしないで自然に生きている

 

優しく落ち着いた

理想の人

 

 

現代の生活には

そぐわないかもしれないけど、

 

お金のことや

食べること

いろいろなしがらみが

ない世なら

 

 

純粋に 「好きな人」

だなー

 

今日 はじめて 気がつきました。

 

 

私が「問題」だと思っていた

いろんなできないこと。

スムーズに動けないこと。

意思が伝わりにくいこと。

 

本人が 慌てている姿に

こちらが慌てて

 

それを不快に感じて

しまっていただけ。

 

 

この人が 生きている。

ただそれだけで 

幸せじゃないか!

 

 

もし、この人が

近所に住んでいる

他人

だったら、

 

「いい感じの人だな、」と

純粋に思える。

 

何ができようが

何ができなかろうが

関係ない。

 

見ててすっと

胸に入ってくる

あたたかい感覚。

 

もし、

遠く離れていたとしても、

 

たまに会えたら、

たまには話ができたら、

 

嬉しい。

 

 

ここまで純粋に感じることが

できました。

 

 

ただ純粋に好き。

 

という

 

存在が あることを

 

 

私の子供として生まれ、

私から巣立っていくものとして、

見せてくれている。

 

 

近所に住んでる他人

では

味わえない

 

強いつながり

 

 

あらかじめ

決めていたこと のような

 

この濃い関係。

 

 

「存在」 の 意味を

常に信号として

 

光続けて

見せてくれていた。

 

ただそこにある

美しい絵のように

静かなものとして。

 

あらためて

見とれてしまう

私がいました。

 

 

この人は

戸惑っていたんだ。

 

目の前の私から

愛情は感じるのに、

 

「なんで嫌なことさせるの?」

 

したくないのに、

しなきゃいけないって

どうして?

 

 

 

「親だから」

教育しなければ!と

強い考えで

見本になろうとし、

 

「これが できなきゃ!」

「ここに 行かなきゃ!」

「いま、

これを知っておかなきゃ!」

 

たくさんの項目を

押し付けてきた。

 

 

そんなことを

一日中

考えていた。

心配していた。

 

 

ほんとうは 一日中

 

「好きだな」と

 

感じたり、言葉にしたり、

 

楽しく仲良く

もっともっと

たくさんすれば良かった。

 

 

たまーに

 

「これ、どうかな。」と

提案するくらいで

 

どうするかは

本人に任せて

 

手放ししてれば

楽しかっただろうな。

 

彼が 慌てている姿は

 

実は 私の心の中が

慌てていたのを

 

表現してくれていただけ。

 

これで いいのか?

このままいっても 大丈夫か?

周りと あまりにも違いすぎる!

こんなんじゃ きっとダメ!

 

と、

私が 慌ててしまっていた。

 

愛すれば愛するほど

心配で 不安で。。

 

 

そういう「視点」が

できてくると

 

私の父も

好きだな〜

 

私の母も

好きだな〜

 

会えば小言から始まっても、

心配かけてるな と

申し訳なく思っても、

 

すぐに思い浮かんでしまう

細々した思いを

すべて取り払ったら、

 

いい人 だな。

好き だな。

 

純粋な愛情が

ふんわりと 身を包みます。

 

この人が 生きている。

ただそれだけで 

幸せじゃないか!

 

そういうことを

感じるための

家族 なんだ。

 

あまりにも身近すぎて

あまりにも当たり前で

あまりにも空気のように自然

 

でも、

確かに存在し続けている関係。

 

 

 

 

戦争はないけれど

心の中で

戦争をしなくてはいけない

今の世の中が

 

もっともっと

平和になったなら

 

 

彼はほんとうに個性を発揮して

 

楽しく自由に才能を

 

花開かせるでしょう。

 

 

そうなるように

今、私が平和な心でいよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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