好きなこと だけ

好きなこと だけ

 

「好きなこと」だけって、

お料理の美味しいとこだけ。
みたいな感覚。

 

ケーキのクリーム だけ
チョコアイスのチョコだけ
カニのミソだけ。
サンマの皮だけ。
鍋物のお魚だけ。
卵の黄身だけ。
カレーの汁だけ。
スイカの甘いとこだけ。
ぶとうの熟れたとこだけ。
(^_^)

 

美味しいと感じるとこしか

食べない。

 

 

あとは
もったいないから
食べなきゃいけない。
と、思ってた。

 

ま、
わかりやすいので

食べ物でたとえてます。

 

もったいないから
食べますけど。。

 

 

「好きなこと」だけで
生きるって、
こんなイメージ。

 

写真は「豆炭こたつ」の

豆炭を入れるカセットです。

電気こたつのヒーター部分に

はめ込むタイプ。

 

泊めてもらった農家さんで、

97歳のおばあちゃんと話していた間に、

豆炭を焼べていただいて、

暖炉のようなホッとするあたたかさを

体験してから、欲しくて欲しくて。。

 

で、

いまは、我が家のリビングで、

わたしの「巣」と化しております。

(^_^)

 

 

とくべつ「好きな場所」

 

 

「好きなこと」

半年前は、聞かれても、
「え?なんだろ?」と
ちっとも浮かんできませんでした。^_^;

 

「あーーっ!! そうそう!」と
思い出したり、気づいたり。(^_^)

たのしみながら集めています。

 

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子供への想い①

子供への想い①

 

一人めの子供は、

 

泣いたら すぐ だっこ。

 

その子に集中できるから、

直ぐに欲求を満たしてやれる。

 

授乳や病気など、

赤ちゃんの命を預かる緊張感で、

神経質になっていました。

 

四年後に二人め

その二年後に三人めを授かったので、

成長とともに、

徐々に手放していきましたが、

 

「想い」は誕生のころのまま。

 

「欲求を直ぐに満たしてやりたい。」

 

赤ちゃんじゃないのに、

親として してやれることは?と

自然に反応していまいます。

 

だっこは、しませんが、

 

気分はおんなじようなもの。

 

 

 

親になる。ということは、

 

自分のこと以外に

「しなくてはいけない」仕事を

引き受けるようなところがあります。

 

自分のことだけでも、結構、

「しなくてはいけない」を

持っているのに、

 

そこに、さらに、

増やしているわけです。

 

自分自身の成長とともに、

「しなくてはいけない」ものは

増えていて、

 

でも、

子供が生まれたら

その、「しなくてはいけない」

と思っていたことさえ、

できなくなってしまいます。

 

その上、

 

「したい」と思っていたことも、

できなくなってしまいます。

 

「我慢しなくてはいけない」

 

 

小さい頃は、

「我慢できない」と感じたら、

素直に言葉や態度で自己表現します。

 

うまく表現できないと、

泣いたり逃げたりという、

少し強い自己表現になっていきます。

 

でも、それが許されるのは、

環境によって、様々ですよね。

 

厳しい親や祖父母のもとでは、

「我慢する」ことが「良いこと」と

教えられることが多いものです。

 

親や祖父母も、

そういう環境で育ってきたから。

 

「我慢する」ことが幸せにつながる。

と、自分の体験から信じています。

 

「我慢しなくてはいけない」

 

 

自分に「しなくてはいけない」を

多く持っているひとは、

 

子育てにも

「しなくてはいけない」を

たくさん作り出すようです。

 

そして、

「欲求を直ぐに満たしてやりたい」と

思っている愛する我が子にさえも、

 

言葉が通じるようになると、

「しなくてはいけない」ということを

伝え始めます。

 

それが良いことだと信じているから。

 

我が子が

「泣く」ようなことにならないよう、

言葉で「だっこ」をしています。

 

そして、

 

やりたいことができなかった

自分自身の子供の頃を思い出し、

 

「好きなようにさせてやろう」と

思っていても、

それを許してやれない

親としての矛盾を抱えています。

 

それは、

「しなくてはいけないのか?」を

問い直すことでもあります。

 

自分のことも、子供のことも。

 

 

自分自身が持っている

「しなくてはいけない」という

考えに向き合うことになるのです。

 

 

我慢して、

したいことができなかった自分。

 

それが、幸せだったのか?

 

 

今、生活の周りにあるものは、

そういう考えで

自分が選んできたものです。

 

仕事、人間関係、服装、住居、

家電製品や雑貨類、

日々の食べるものや、読む本、

テレビ番組、映画、

起きる時間、食事の時間、

入浴のタイミング、などなど、、

 

すべてです。

 

私の思いのとおりの 

好きなものなのか?

 

それで私が幸福を感じているのか?

 

 

そして、我が子が見せてくれるいろいろなこと。

 

私が産んで育てても、

「命」は本人だけのもの。

 

「息子」や「娘」であっても、

「幸福」は本人が感じるもの。

 

 

そう考えて、

少し離れた目線から

見ることができるようになると、

 

 

もう、「だっこ」は必要ないよね。

 

と、思えるものが、結構あるようです。

 

 

「しなくてはいけないのか?」は、

本人が決めること。

 

 

できるだけ子供が小さいうちに、

こんなことに気づけるといいですよね。

 

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兄弟姉妹という環境

兄弟姉妹という環境

 

弟と手をつないで歩いた小さかった頃。

 

迎えを待ちわびて、保育園の

玄関のガラスに張り付いて

私を見つけた笑顔を

忘れることはありません。

 

どんどん変化する環境の中で、

一緒に驚き、楽しみながら、

ともに成長してきた同士。

 

兄弟姉妹は、

おなじ「家族」という環境設定のなかで

育てられながら

「ものの考え方」を学んでいきます。

 

だから、

性格や能力は違っても、

ものごとに対する「考え方」は

とても似ています。

 

 

私たち姉弟は、

とても厳しく躾けられたので、

 

「我慢しなくてはいけない」

 

という考えを、

とても強く握っていたようです。

 

ものごとがスムーズに進むのならば、

自分が本当にしたいことを

我慢するのが当たり前。

と、いつも思っていたのです。

 

結婚して、子供ができると、

「家族のために」

自分を犠牲にすることが、

良いことだとさえ思いはじめます。

 

仕事で疲れていても、

体調が悪くても、

 

「理想の家族」という形を崩さない

ことを最優先とすることで、

 

自分に課せられた責任を

果たしていることが

「良いこと」と信じて

満足してしまうのです。

 

順調に行っている間は良いのですが、

体調が悪くなったり、

経済的な支障が出てきた時に

問題が表面化します。

 

本来ならば、

それ以上の我慢を重ねることよりも、

 

家族に協力してもらって、

治療に専念したり、

 

出費を抑えるために

生活の内容を変えていけば

良いのですが。。

 

我慢を重ねているひとは

 

ひとに頼ることさえも、

我慢してしまいます。

 

家族に我慢をさせることは、

自分がワガママなのだ

とさえ思ってしまい、

 

その不快感よりは、

 

やっぱり自分が我慢をする方を

選んでしまうのです。

 

「我慢しなくてはいけない」という考えは、

「我慢できない」という感情を、

押さえて、

蓋をして、

なかったことにしようとします。

 

自分が「我慢」しさえすれば、

ひとに我慢させることはない。

 

それが「良いこと」。と、

それまで生きてきた中で、

自分で作り上げた考えに縛られ続けていると、

 

それを知らせるために、

出来事が起こり始めます。

 

それは、

 

「このままいったら、

 身体を悪くして、

 動けなくなってしまいますよ!」

 

という、身体からのサインであったり、

 

 

「それで、あなたは、

 本当に幸せなんですか?」

 

と、

考え直さなくてはいけない出来事。

 

たとえば、

さらに我慢しなくてはいけないような

状況にさらされることが起こって、

 

「え!これ以上は、さすがに我慢できないわ!」

となります。

 

そんなことが始まっているのに、

まだ

なかなか気づくことができないと、

 

さらに深刻なことが起こり始めます。

 

動けなくなって、

どうにもならなくなって、

はじめて、

「すみません!よろしくお願いします!」

 

と観念させられるのです。

 

 

我慢が「良いこと」なのか?

 

「感情」を押さえていることが

「良いこと」なのか?

 

学校の成績が良い人ほど、

この傾向は強いのでは?と、

弟を見ていて感じました。

 

結果に対する

執着が強いのでしょうか?

 

挫折を感じる経験が少ないと、

挫折する自分を

許せなくなるのでしょうか?

 

 

自分はどうしたいのか?

 

子どものように笑顔を見せてくれたり、

 

鼻を押さえながらガラスにへばりついて

迎えを待っていたり、

 

大声を出して怒ってくれたら

 

とても分かりやすいですよね。

 

 

弟は「病気」

私は「出来事」

で、観念させられて、

 

ようやく

「我慢できないです!すみません!

よろしくお願いします!」

 

と、なりました。

 

大変な出来事でしたが、

もし、それが無かったら、

 

さらに我慢を続けるという、

自分を自分の考えの奴隷

してしまっていたでしょう。

 

「考える」ことは、大切ですが、

「感じる」ことの

大切さを教えてもらうことは、

とても少ないように思います。

 

「感じる」ことこそ

「生きている」こと。

 

幸せな人生は「感じる」もの。

 

小さい頃から、社会に出るまでを

一緒に過ごしていた私たちが、

ここにきて、

 

一緒に大切なものを

見直すことになったのは、

 

「家族」という環境設定の中に、

 

実は、

大きな課題を持っていて、

 

それに気づくタイミングだったのでした。

 

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