「手放す」ことの大切さ

「手放す」ことの大切さ

過去の多くの場面で
たくさんあった選択肢の中から
選んできたものに
いま、わたしは囲まれている。

 

「やる?」「やらない?」
なら

必ず「やる!」

決めていた。

 

やらないで
出た結果に後悔したくない。

できるだけのことを
やり尽くしてみたい。

 

でも、
あとになって
「なんでこんなことしたんだろう?」

感じることもある。

 

それでも

「やってみたい!」と
強く思って始めたことは

なかなか終わらせることが
できないものでした。

 

そこに
「感情」がくっついているから。

 

外に向けてのプライド

自分は間違っていない
という「良い悪い」のジャッジ

誰かに迷惑をかける罪悪感

挫折という自己否定

そして
自分を許せない。

他人には理解できない
意味不明な行動には

 

こんなものたちが
いつのまにかくっついていて
動けなくなってしまう

 

カラクリがありました。

 

 

それは時間が経つにつれ、

注がれ続けた

のような作用をもたらす
こともあります。

 

 

たった一つの過ちに
いつまでも囚われて
どんどん自分を
傷つけていく。

 

こんな人の姿を
身近で何人も見てきました。

 

それは

どんなに頭が良くても
どんなに頑丈な身体でも
どんな地位にあろうとも

心の中の
やわらかい部分は
繊細なものです。

 

 

むしろ

「強くあらねば!」
「正しくあらねば!」と
思う人ほど

強く自分を縛って
過ちを許せない。

「なんて奴なんだ!」
「これじゃダメだ!」

 

はやく そこに気づいて!
何度も言いたい衝動を
抑えて

 

自分で気づく
「学習」を
していただくしか
ありません。

 

わたし自身も
そうやって
自分で気づいたからこそ
手放せた。

 

傷つけているのは
自分自身なんだと
自分で納得したから
行動できたのですから。

 

もっともっと気楽に
楽しく
自由に

 

「やっちゃったな〜〜」
「できない自分も許そう」
「はい!次に行こう!」と
軽いフットワークになるために

 

「手放す」ことが どれだけ大切か。

 

いっぱい
くっつけてしまっていた
「感情」を
解放できる方法が
あることを

 

もっともっと
たくさんの人に
知っていただきたいです。

 

その「感情」を

四六時中感じ続けて

自分が自分を傷つけていることが

どれだけ不幸なことであるかに

気づいていただきたいのです。

 

RAS®︎のセッションでは
ストレスの原因となる
「感情」を
身体から直接導き出します。

 

そして
自分の力で
手放していく
「学習」をすることで

 

本人にしかできない
本人だけの問題の
形を変えていく。

 

「なんでこんなことしたんだろう」

少しでも離れてみることが
できるようになると
次に進むことが
できますよね。

 

いつまでも
囚われ続けない
区切りをつけることが
どれだけ大切なことか。

 

 

新しいキャンバスに
自由な自分を描いて
毎日、まったく違う絵を
重ねていける日々って
楽しいと思います。

 

 

 

 

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2018年1月6日 「事業関連の解放」のセッションを受けました。

2018年1月6日 「事業関連の解放」のセッションを受けました。

 

2018年1月6日に、

RAS認定インストラクター®︎

藤井ちひろさんの

「事業関連の解放」のセッションを受けました。

そのあと、ちひろさんにお送りした私の感想文です。

それまで、ファシリテーターとして、

セッションをできるところまで

「解放」のセッションを

受けてはいましたが、

 

私自身の課題は、「自立」。

 

その大きな問題に、なかなか向かい合うことができませんでした。

 

まだまだ変化の途中ですが、

RAS®︎のセッションで解放すると

ハッキリとした変化が

内側と外側に起こることを

お伝えしたいと思います。

 

 

「ちひろさん。

昨夜は、

なかなか寝付けませんでした。
『あれもしたい』

『これもしたい』

『そうだ!こうしたらいいじゃないか!』

と、たくさんの楽しいことを

思いついて止まらない感じでした。

 

夏休みの前の学生のように、

自由な時間をどう過ごそうか?

と胸をときめかせる

アイデアがあふれていました。

 

 

10日ほど前に、

思いきって ちひろさんに

ご相談しましたよね。

 

あの時は、

1月6日に事業関連の解放を受けて、

すでに手放すことができるものが

グラグラと心の中で

動き出していたのに、

 

『どうしたらいいんだろう?』

と混乱していました。

 

いま、ここまでくると、

その原因が3つあったのだとわかります。

 

①今は不必要な広さの事務所を

手放せばいいのに、

あまりに手をかけ過ぎて

愛着があり、手放せない。

 

②この数年、

恐れ続けてきたことが、

いよいよ現実化しそうなのに、

それに関わる家族に

正直に話すことができない。

 

③『だれかが どうにか

してくれるんじゃぁないのか?』

『突然、大きな奇跡が起きて

助けられるカモしれない』と、

小さい子供のような

甘えた心を手放せない。

 

 

これらが私の感じていた

強い恐怖の原因でした。

 

 

自分で決めなきゃいけないのに、

逃げ続けていたせいで、

よけいに状況が悪化しているのに、

 

それを始めることで傷つく

私の外側に向けての

[プライド]が

じゃまをしていました。

 

 

私が自分で気づけるように

アドバイスしてくださって、

 

「プライドか。」と

ようやくたどり着き、

 

それでもなんだか

ハッキリしなかったので、

 

『とにかく動いてみよう。』

と思い、

以前から考えていた

『ポスティング』に出かけました。

 

 

事務所の近所に

ご挨拶がてら始めてみようと

出発しました。

 

お天気で、

はじめての体験を楽しみながら

スタートでき、

 

お庭に出ていらっしゃった方には

『ポスティングしてるんですけど、

入れさせていただいてもいいですか?』

とお声をかけて

『いいですよ』とご

返事いただくことが

嬉しくも感じていました。

 

でも、20分を過ぎるころ、

ちょうど50枚配った頃から、

心の中に違和感を感じ始めました。

 

 

「なんか、違う。」

「いま、私がやることは

ポスティングじゃない?」

 

そして、身体が

 

『事務所に帰りたい。』と

全身で、先に進むことを

止めようとしている。

と感じ始めました。

 

「なぜだろう?」

戻る途中から、気がつき始めました。

 

「事務所、ここじゃなくてもいいんだ。」

 

気がついても、

 

「でも、ここまでせっかく

キレイにして、

手をかけて大切にして来たのに

もったいない。

 

ほかにこんないいところ無いし。」

と、

 

執着心が抵抗しました。

 

胸の奥から

ワーっと溢れ出てくる

嫌な感情のモヤモヤが、

重く強くそして痛く感じて、

 

『いやだ〜〜!』と抵抗しました。

 

 

撤収作業、大変だろうし、

大家さんに何と言えばいいんだろう?

 

ほんとうに手放さなきゃいけないのか?

 

それから半日かけて、

自分の中のその感覚に向き合い、

集中して感じ続けました。

 

そうしていたら、

 

ほかのことにも気づき始めました。

 

 

家族に話さなくてはいけないこと。

 

絶対怒られる。憎まれるかもしれない。

愛しているのに憎まれるなんて、

なんて辛いんだ。

『苦しい〜〜』

 

私なんかにできるわけないじゃない。

 

誰か助けて!

『寂しい〜〜』

 

3つが重なって、

立っていることができなくなりました。

 

 

「こんな辛いことに、

私はどこまで耐えられるんだろう?」

と口にしながら、

 

胸の奥の強い痛みを感じました。

 

 

 

そして、ようやく、

ようやく、です。

「事務所は手放そう。」

ということから決断でき始めました。

 

次の日は家族に話をしました。

 

そして、

頼りたいと思っていた方には、

 

「甘えようとしていました。

私の問題なのに

自分勝手と気がつきました。

ご迷惑をおかけして

申し訳ありませんでした。」

 

と連絡しました。

 

 

 

事務所の家具などを

ぜんぶ処分するつもりだったので、

 

 

家具の買取が、あまりに安くて、

ガッカリしたり、

事務所の契約を解約する時に、

大家さんが何を言われるだろうと

勝手に難しく考えてしまったり、

 

 

これからの引越し作業の

大変さを考えるだけでも

「大変だー」と尻込みしたくなったり、

 

 

相変わらず

 

執着、プライド、頼りたい。

 

が出てきました。

 

その度に向き合い、外していきました。

 

RAS®︎のセッションで

既に外していただけたので、

 

細かい感情の浮き沈みは、

自分でお掃除できるような感じでした。

 

 

それで、ようやく土曜日の夜、

 

「事務所の家具は、

ぜんぶ 今住んでいる

住居に入るんじゃないか?」

と考え始め、

 

幸い、離れのプレハブもあるので、

 

「そこを事務所にしたらいいんだ」

と思いつき、

 

じゃあ、何をどこへ?から、

考え始めて、

どんどんアイデアを思いつき、

 

私の頭の中には、もう、

その配置は出来上がったのでした。

 

 

事務所が決まると、

ひとと関わっていく

私のイメージが湧いてきました。

 

「そうか!

あの人にお知らせしてみよう!」

と気がついたり、

 

「面白いこと始めたよ。」と、

楽しい話題ができたことを

伝えたい、

 

これまで気にかけてくださった

方々を思い出したりし始めました。

 

 

あの胸を痛めた

強烈な苦しみがあったことなど

忘れたかのように、

 

ワクワクとし始めて、

胸が熱くなってきて、

身体もポカポカし出しました。

 

 

それで、なかなか寝付けなかったのです。

 

なんで、

もっと早く出来なかったんだろう?

 

 

 

と不思議なくらいでした。

 

それを私の[プライド]が、

それだけ強く邪魔をしていたのか、

と、ようやく目が覚めたのでした。

 

 

 

「事業関連の解放」

と聞いていたので、

 

「何かを拡大させるのか?」

と思っていましたが、

やっぱりRAS®︎。

 

『手放す』ことから始めないと、

新しいものは入って来ないんだ。

 

 

「耐えられるのか?」

と感じたあの苦しみから、

 

1日経ったら、

 

こんなに変われるのか!

と驚くほどの、

 

私の内側の激変でした。

 

 

感想は
「あ〜〜 とってもしんどかった!」と
「あ〜〜 とってもしあわせ!」
です。

 

 

そりゃ、

家族からは、

強烈なヒンシュクを買い、

 

ガンガン言われもしましたが、

 

 

私の感情が解放できているので、

 

「ごもっともです。

何の言い訳もいたしません。

ほんとうにごめんなさい。

私は大バカです。」と、

 

素直に受け止めて、

感情的にならずに、

反省しながら

真摯に向き合い続けていられます。

 

 

たまに

「うっ」と罪悪感が襲っても、

 

直ぐに「私の内側」と向き合って、

どんどん消化が進んでいます。

 

 

 

以前は「汚点」と感じて

 

絶対避けたかった

「できない自分を真正面から見つめる」

こと。

 

 

そんなことをしたら、

屈辱を抱えながら

悩んで、苦しんで、

死んでしまうカモしれない

と感じていたのに、、

 

 

こんなことが出来るように

なれた自分にビックリ‼️してます。

 

 

 

昨日、

長男が、初めて面接に受かり

採用されました。

涙を流して喜びました。

これまでで、

最大のご褒美をいただきました。

 

 

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自分と向き合う

自分と向き合う

 

朝 目がさめると、まず、

「どう?」と 心に問う。

 

「いい感じよ〜〜」みたいに
言葉で返ってくるわけではない。

 

五感ではない、
もっと繊細な感覚。

 

布団を出て動き出してしまうと
失ってしまいそうな

 

のような感覚。

 

たとえて言うと、

 

「ただいまー」と
帰ってきた子供の

 

その声と、

 

「お帰りー」と
応じながら見る

 

姿と動き、

 

(ご機嫌ね。)の時もあるが、

 

(楽しいばっかりじゃ なかったんだな。)

を感じ取る時もある。

 

一瞬で受け取り

 

(そうなのね。)と思いながら

 

直接は問わない。

 

まだ、言葉にできない
モヤモヤしたかたまりなのか、

 

言ったら私にどう言われるかを
警戒しているのか、

 

子供が何か口にするまでは、
待っておく。

 

こちらから問うてしまうと
風が吹いてしまい
散ってしまう

 

霞。

 

母親が無意識に
子供に向けてやっていること。

 

 

「場の空気を読む」 というのにも
似ている。

 

自分の主観を入れずに

 

身体全体から
入ってくる情報を

『なんだ?』と
感じ取ろうとする時、

 

目にはいってくるものを
一つ一つ
考えていては
ついていけない、

 

手放し状態。

 

集中
とも違う。

 

心の感覚の網を
パッと広げて
どこかでキャッチ
しようとする
ような
センサー

 

その場を管理する者が
無意識にやっていること。

 

 

それを
外側に向けずに 内側でする。

 

 

ついこの前までは

 

心臓の横に
つめたーい石のかたまり
があるような
感じがしていた。

 

それが、
だんだん小さくなり
あたたかくなり
やわらかくなり

 

かたまりはなくなった。

 

「しなくてはいけない」
を手放し、
「したい」ことを
増やして
きたおかげ。

 

こんなことさえ
わからなくなっていた。

 

義務
責任
負担

 

の中に
埋め込んでいた「自分」を
発掘作業し始めた。

 

化石と化していた
かたく冷たい かたまりを

叩くのではなく、

 

ホコリをはらって
両手で包んで
あたためてきた。

 

こんなところにあったんだ。
私の大切な宝が。

 

気づけてよかった。

 

いまは

やわらかな熱を帯びた
小さな太陽が
あることを
感じ取れる。

 

心臓の鼓動とともに
その太陽の輝きが
全身をめぐっている。

 

でも、そのめぐりは

霞のように繊細だから
強い風に
吹き飛んでしまう。

 

悲しみ
恐怖
不安
緊張

 

ビリビリと稲妻が這う
その嵐の中でも

 

心臓の横にある
小さな太陽は
確かに ある。

 

もう、冷たい石じゃないから、

思い出したら
いつでも
そこに戻ってあたたまれる。

 

 

「ただいま!」の
顔が 晴れ晴れしているように。

 

ドッと笑いが満ちた会場の
濃くなった 空気のように。

 

輝く光の粒子が
いつまでも舞っていて
それを
からだに纏って動き続ける

 

イメージができたら
OKサイン。

 

布団を出てスタート!

 

 

 

 

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「答え」は本人が持っているから

「答え」は本人が持っているから

私が資格をいただいた

RAS認定ファシリテーター®

 

自分の本質を生きることを

妨げる「感情」を

解放し終わっています。

 

それは、一番大切なこと。

 

自分の本質とのつながり

スムーズでないと

 

セッションは

できないからです。

 

 

クライアントの

「筋反射」という

身体の反応を

 

正確に読み取るためには

 

 

ファシリテーター自身の

内側が

整っていることが

最大の資格

となります。

 

 

私の「感情」が

邪魔をしてはいけないから。

 

✴︎見た目や年齢からの

先入観を持たないこと。

 

✴︎「こうしたら良いんじゃないのか?」

と、

判断しないこと。

 

 

✴︎「こうなって欲しいな。」

と、

願望を加えないこと。

 

✴︎「こうしてあげたい。」

と、

助けようとしないこと。

 

これらは全て

正確な読み取りの

邪魔をする。

 

筋反射を取る意味が

なくなってしまいます。

 

 

「答えは本人が持っている」

 

それ以外にはありえない。

 

 

それまでの人生での

環境や体験の積み重ね

 

そして、

これからの人生に必要なことは

 

誰一人として

 

同じものは無いから。

 

 

本人だけが

持っている答え。

 

 

とても純粋な

そして単純な仕組み。

 

 

ただ淡々と

「YES」「NO」の反応を

必要な手順を踏んで

 

通訳するだけです。

 

 

でも、

私も人間ですから、

 

日々の生活で

いろんなことが起こります。

 

 

「なんでこれ嫌いなんだろう?」

という小さなことから

「右の脇腹が痛い!」

「車をぶつけた!」

「うまく行かないな~」

揉め事や、

悲しいことも。

 

まだまだたくさんの

体験を積み重ねていきます。

 

 

その度に

 

自分の中にある答えを

探しに行きます。

 

全てです。

 

全ての出来事に

意味があるから

感じるから。

 

 

「答えは本人が持っている。」

 

 

その作業を

繰り返しながら、

自分自身で出来事を

作り出していることが

わかってきます。

 

そう「感じて」いるだけ。

ストレスと感じて いるだけ。

 

 

私がこうして

繰り返している

「自分と向き合う」

 

ことを

 

本人ができるようになる。

 

そのための

セッションです。

 

 

たとえお悩みの内容に

似たような体験をしていても

セッションの中では

アドバイスすることは

できません。

 

本人が

本人の力で

たどり着けなければ

意味がないからです。

 

本人だけが

たどり着ける力

 

 

その力を信頼しているから

セッションの意味があります。

 

 

どうしようもないと

行き詰まっている

ポイントだけを

本人の身体から

読み取ること。

 

 

これが、とても大切。

 

 

クイズの答えを知るよりは

「なんだろう?」

 

考える過程を楽しむことに

似ていますよね。

 

 

大切なのは過程です。

結果だけならジャンケンでいい。

(羽生善治)

 

この言葉。

好きなんです。

 

 

はやく答えが知りたくても、

 

クイズのように

万人共通の答えではないから

 

だからこそ

筋反射。

 

それを読み取る

セッションです。

 

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RASを始めたきっかけ

RASを始めたきっかけ

 

 

RASを始めたきっかけは、

 

教えていただいたことが

「とても面白い」

と、感じたからでした。

 

 

子育て中から始まった

ひどい腰痛が

長年の悩みでした。

 

 

RASは治療とは違います。

 

 

でも、私が感じていた

腰痛の「問題」。

 

 

そのストレスのせいで

 

自由に動くことを

自分で制限していたことを、

なんとかしたいと

思っていたところでした。

 

 

PTAの役員や

何かの仕事を引き受けたり

旅行に行くことなども、

 

途中で具合が悪くなり

責任を果たせなかったり、

迷惑をかけてはいけないと

億劫になってしまっていました。

 

 

腕の良い整体師さんを

紹介してもらって 通ったり、

良い治療法があると聞けば

いろいろ試してもみました。

 

 

とにかく動かすことが

良いことと思って

 

運動も、

いろいろやってみました。

 

 

無理して動いたあとには

ギックリ腰を

何度も経験しました。

 

 

 

腰痛という

「外側」にある問題は

 

私が心で感じていた

「内側」の問題を

知らせてくれている。

 

教えていただきました。

 

「感情」??

 

 

ワクワクしたり 嬉しいと

身体がポカポカしてきたり、

足取りも軽くなってきて、

 

感情は

身体に大きな影響を

及ぼしているとは

感じていましたが、、

 

 

辛いことがあると

不安になって 体温がさがり

手先が冷えたりすることも、

感じていたので、

 

なるべくマイナスの感情は

感じないように

注意していました。

 

 

どんなことでも

「受け取り方だ」と思って

 

頼まれたら

嫌なことでも我慢して

断らないことが

良いことだと信じていました。

 

 

メンタルトレーニング

を受けると

プラスの感情の言葉で

身体に力が入るので

重たいものも重たくない!

嬉しいこともありましたが、

 

マイナスの感情に

向き合うことなどは

習ったことが

ありませんでした。

 

 

むしろ、避けたい。

 

 

そんな感情を持ってしまうこと

自体が不快。

 

そんな感情を持ってしまう

自分が嫌い。

 

 

なんでも「嫌!」 と感じずに、

 

なんでも「大丈夫ですよ~」

(^_^)

 

と、心の広い

ひとでありたい。

 

 

だから、

いったい どんな「感情」を

私は感じていたのか?

自分の感情なのに

なんで分からないのか?

 

とても不思議に思いました。

 

 

マイナスの感情を

押さえている。

 

ことが、

 

実は「大問題」でした。

 

 

「押さえている」ということは

 

感じていたのに

感じたかったのに

 

「ダメ!」と断られるようなもの。

 

 

赤ん坊が

オギャーと泣こうとしている

口を

塞いでしまって

いるようなもの。

 

 

なぜ泣くのか?の

原因を解決できなければ

泣き続ける。

 

 

 

ハッキリと言葉にできたら

わかりやすいのに。。

 

感情も

そんなところが

ありますよね。

 

 

でも、

純粋だった

赤ん坊の感情表現が、

 

成長するにつれて

複雑になり、

 

言葉にできるようになっても、

 

親の顔色を伺ったり、

友だちの驚く様子で

反省したり、

 

次第に知恵を働かせ、

 

純粋に感情を表現できなく

なってきたのも

仕方のないことでした。

 

 

 

そして、

セッションを受けて

はじめて

 

私が押さえてしまっていた

感情が何かを

 

知ることができました。

 

 

その言葉は

私からストレスを

「解放」するために

覚えておかない方が良いと

言われました。

 

 

人によって違うものです。

 

 

ギックリ腰の痛みを抱えながら

その日のセッションを

受け始めましたが、

 

終わる頃には

身体が納得したのか

ずいぶんと楽になっていました。

 

 

どういうふうに

変化が起こるのかは

人によって様々なので

「こうなります」とは

言えませんが、

 

 

私は

「感情か。面白いな。」

意外な観点に興味を持ちました。

 

 

 

押さえていたら

自分の感情なのに

わからなくなってしまう。

 

どんな感情だったのか?を。

 

 

そして

同じように「嫌だ」と

感じる出来事で

より強く感じるようになる。

 

 

でも「嫌だ」は

マイナスの感情だから

それまでどおり

押さえてしまう。

 

 

この繰り返しを

重ねていって、

どうにも押さえきれない

ところまで

行ってしまった結果が

 

 

腰痛

そして

ギックリ腰

 

 

身体が動けなくなって

頼まれごとなど

引き受けるどころか

 

こっちから

人さまに

頼まなければ

いけなくなってしまう。

 

 

赤ん坊に

戻ったみたいに。

 

「やって~~!」

 

 

 

「なんでも 大丈夫。」で

いたいのに。

 

「なんにも できない。」

 

 

 

「あー

無理しちゃいけないな。」

程度なら

それまでも反省してましたが、

 

 

なんと原因が

「感情」だった

だなんて、

 

教えていただくまで

気がつきませんでした。

 

 

 

「面白いな!」と

ワクワクしながら

 

始めることに

なったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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問題は解決しようとはしないこと(離婚編)

問題は解決しようとはしないこと(離婚編)

 

「離婚したい!」と裁判をしていた時は、

「離婚できない」という「問題」の解決をしようとしていました。

 

【問題は解決しようとはしないこと】

 

実は、

その問題の根っこは「恐れ」でした。

 

【その時点で感じていた「恐れ」は】

 

「このままでは、一生 自由に生きられない。

生活を管理され、コントロールされ、

私は自分の感情を抑え続けなければならない。」

 

「私が正しい。」

と強く思っていたので、

同じ強さで相手は攻撃してきました。

 

子供たちまで不安にさせ、悲しい思いをさせながら、闘いを長く続けました。

 

ようやく

「離婚」できて、「問題を解決」したはずなのに、落ち着きませんでした。

 

 

【根っこの「恐れ」を残したままだったから】

 

 

自分を管理して、コントロールして、不自由にさせていた。

感情を抑え続けて我慢していた。

 

ほんとうの原因は、私自身にあった

 

だから、

 

自由になれたのに、

「これからどうしたらいいのか?」と

不安が日増しに大きくなっていくことを

どうしようもないまま、

あれこれと試行錯誤を続け。

 

「いつかは、身体がついていけなくなりそうだな」という不安も重なっていきました。

 

 

【「恐れ」は私が 私自身に対して抱いていた感情】

 

あのままいけば、きっと、無理をし続けて、病気になっていた。

先行きの不安から逃れるために動き続けて

安心を求めるあてのない彷徨の末の挫折。

 

裁判の相手は

それを知らせてくれただけ。

 

私が闘っていたものは、

私が作り出した幻想でした。

 

目の前の「問題」だと考えていたものは

本当の「私の問題」に気づくためのサイン。赤信号 だった。

 

 

相手は、心から心配してくれていた。

 

私や子供たちのことを。

 

相手なりのやり方で、それを解決しようとしていた。

相手が「正しい」と信じた方法で。

 

でも、

それを、受け取る私には

攻撃されているとしか思えなかった。

 

私の批判ばかりして、

自分の非を認めようとしないから。

動けなくさせようと

押さえ込む方法ばかりを仕掛けてきたから。

 

私は持ち前の思いっきりの良さで、

それまでしたことのないことばかりに挑戦して、

 

「バカにしないでよ!」と

行動で示そうとしていた。

 

自分が正しい。

自分には権利がある。

自分には行動力がある。

自分には能力がある。

 

相手に助けてもらわなくても

ひとりで人生を生きていく力があるんだ!

 

相手が間違っていて、

自分は正しいんだ!と強調するために。

 

それは「復讐」でした。

私が囚われていたことへの。

 

家族のために頑張ってきた。

家族のために我慢してきた。

家族のために尽くしてきた。

のに、

それを全く評価してもらえない

 

挫折感。焦燥感。

 

そして「怒り」を

 

動きまわり、いろいろなことをすることで

 

「復讐」という形で表現しようとしていた。

 

 

【私が気づいていなかった「大切なこと」を知らせるために 起こってくれた「問題」でした。】

 

「私が囚われていた」のではなく「私が私を縛り付けていた」

 

 

何か手立てはないものかと、「それまで学んできたもの」を いろいろ試してもみましたが、

攻撃されていると思い込んでいたので、反撃することしか思いつきません。

 

「相手の立場に立って考えましょう。」

↑そりゃあ離婚となれば都合悪いでしょうね。そっちが悪いんですから。

そちらの思い通りになんか なるもんですか!

 

「同じステージに答えはありません。離れたところから見るようにしましょう。」

↑俯瞰してみても、どう考えても 批判され攻撃されてるとしか感じられない!

誰が見たって相手が悪いでしょう!  私は被害者なんだわ!

 

「そういうことを改めて考え直す『暦』である。」

↑人生の転機ならば、仕方がない。結婚に向かない誕生日らしいし。

これまで我慢してきたことを爆発させるチャンスなんだわ!

 

「子供のことを考えて。」

↑子供まで管理して押さえ込もうとするなんて許せない。

私の方が正しいんだから、子供は私が守るんだ!

 

押さえきれない腹立ちまぎれに 愚かな考えを必死に繰り返していました。

 

自分が正しくて、相手が間違っているんだ!

 

こんな単純なことなのに、どうしてさっさと終わらせられないのか わからない!

 

自分の正義と相手の正義の違いや

価値観の違いなどにまで、配慮できない狭い心の中で、

 

ただただ「恐怖」と戦っていたのでした。

 

自分が間違っているなどと微塵も認めたくはない。 という「恐怖感」。

 

たとえ「離婚裁判」という形の問題とならなかったとしても、

違う形で必ず何かが起こっていたでしょう。

私が「大切なこと」に気づくまで。

 

【私がそれまで おろそかにしていたこと…自分自身を見つめること】

 

誰の人生なの?

誰の感情なの?

誰の身体なの?

それで幸せなの?

それで楽しいの?

そのままでいいの?

 

いやだ!

 

と 強い感情が生まれて、爆発したのは

この「離婚」という問題のおかげでした。

 

違う形で起こっていても、離婚はしたかもしれません。

でも、関わった人間に、もっと思いやりをもって話を進められたかも。

もっと穏便に、冷静に、お互いが納得して終わらせることができたかも。

 

しかし、

私は「離婚裁判」という戦いとなりました。

 

示談も、調停も、不調に終わってしまったからです。

相手が応じてくれなかったから。

 

でも、それも、私が頑なに「自分が正しい」と貫き通そうとしたから。

 

相手が私の「鏡」になってくれて、示談にも調停にも応じなかった。

 

徹底的に闘って、心に大きな傷を作り、精根尽きるほど疲れました。

 

そこまでしないと私は気づけなかった。

それだけ頑固で直情型で型破りだから。

 

気づかないままでいたら、

「幻想」もそのまま。

何か起こるたびに「幻想」に立ち向かうだけ。

 

【問題は解決しようとはしないこと】

  • その時感じる「感情」に注意を向ける。
  • なぜ、恐怖を感じるのか?
  • なぜ、そう受け取ってしまうのか?
  • なぜ、怒りを感じるのか?
  • なぜ、悲しいと感じるのか?
  • なぜ、焦ってしまうのか?
  • なぜ、自分が正しいと強調しようとするのか?

そして

それは、自分が自分に向けて していることではないのか?

「なんで そんなこと するの?」と受け取ってしまう攻撃は

私が自分にしていること」を教えてくれていた。自分自身を攻撃している。

【それが「問題の奥にある ほんとうに大事なこと」でした。】

 

  • 私は、私には力がない と 思っていた。
  • 自分の人生の責任を100パーセント請け負う自信がなかった。
  • 私は、真剣に自分を幸せにしようと向かい合っていなかった。
  • 私は、自分の意見を主張することを わがままだと思っていた。
  • 私は、できない自分を批判するばかりで、愛せなかった。

自分にこんな酷いことをしていた

 

それを教えてくれる出来事が、

家族や親戚を心配させ、巻き込んだ「裁判」という形で現れ、

離婚することになったのです。

 

心の底で、

認めたくないと思っていた感情。

私にほんとうに必要だったものを獲得しようとする「戦い」

 

そう!

「戦っていたんだ! 自分の心の中で!」

 

RAS®に出会ったおかげで、やっと気づくことができました。

 

あのまま知らないで、また新しい戦いを始めていたかと思うと

 

本当に、RAS®に出会えてよかった!

 

こんな仕組みだったんだ!と ここでやっとわかった!

 

【問題を解決しようとはしない】

「問題」と思ってしまっている自分の中にこそ 本当の「問題」がある。

ここが理解できれば、どれだけ平穏な気持ちになれることでしょうか。

 

ドタバタと動き回ることをやめて、自分と向き合う。

 

自分の「感情」を 自分自身に問う

 

「愛しているよ。大切にするからね。教えてくださいね。」

 

「そうなんだ!」と気づける度に 頑なで硬かった感情が溶けていきます。

 

そして、

自分の「正義」と他人の「正義」は 全く違うことを理解できました。

 

たとえ長年連れ添っても、

たとえ自分の子供であっても、

 

ひとりひとりの持つ「正しい」という考えは、全く違う。

 

「好き」「嫌い」が違うように、

 

「正しい」「正しくない」も違う。

 

 

RAS®の深い「解放」で

 

私は「愛してもらえない」と子供の頃から信じ込んでいたことがわかりました。

 

弟が生まれた瞬間だったようでした。

 

だから、たとえ愛してもらっても、それを信じることができなかったのでした。

 

「解放」したので、

「愛してもらえる」が始まりました。

 

素直に、愛を受け取ることができるようになったのです。

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’健康のために’嫌いなものを我慢して食べる?

’健康のために’嫌いなものを我慢して食べる?

 

「生たまねぎ」嫌いです。f^_^;

加熱すると食べれるので、スライサーは有難い道具です。

以前は「健康のために」という意識が強くて、

自分が玉ねぎ嫌いだと気づかなかった。

 

相当な鈍感。f^_^;

 

「我慢している。」ということが「あたりまえ」。

だって「身体に良いものだから。」

 

身体のために我慢する。

 

「我慢する」から調子が悪くなってたんだ!


気づいてから、

 

生玉ねぎが食べられなくなりました。

 

それにしても、

なんで、玉ねぎが嫌いなんだろう?

何か原因がありそうです。

 

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夜景

夜景

 

日吉台の上には、こんな景色の良いところがあります。

ほぼ180度のパノラマ。

 

壮観です。  美しい。

一つ一つが命の輝きのようにも感じます。

 

 

ふと、思いました。

日の出とともに起きて、

日没とともに休んだら、

こんなに電気、要らないな〜

って。

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人を好きになるということ

人を好きになるということ

 

人を好きになると、

 

「結局は、自分と向き合うことになるんだなー」

 

と、思います。

 

 

好きだと言って欲しいから、

自分の価値を認めて欲しくて、奮闘します。

 

そう、「価値」

 

「見た目」の価値だったら、

 

綺麗だと言って欲しい。

肌がすべすべ。

指の形がいい。

髪型が素敵。

若々しい。

つやつやしている。

ほどほどの体型で、

太りすぎじゃないけど、

柔らかくて、女らしい。

 

ここが好き って言ってもらえるように、どこもかしこも気になります。

 

 

「内面」の価値だったら、

 

優しい。明るい。癒してくれる。

常識がある。話してて楽しい。

しっかりしている。

などなど。。

 

他の女性と比べては、ダメだダメだと思いながらも、なんとか良く見せようとする。

 

そして、その項目はキリがなくなる。

 

どんだけポイント高くしたいの?

 

 

自分で思っているほど、人は気にしていないものです。

 

 

化粧品売り場で、とっても気になっているシミをカバーして欲しいのに、

 

「え?そんなに目立ちませんよー」と言われて、初めて気がつくようなもの。

 

自分だって、その人を好きになった理由は、そんな細かいところじゃなかったりする。

 

見た目、と言っても、目の輝きだったり、身体全体の動きだったり、

 

内面、と言っても、なんでも理解してもらおうとは思っていないから、

意見の違いも気にしない。

 

ただ、一緒にいたいだけ。

理由なんて、探したらあるけど、

 

どうでもいいから、一緒にいたい!

 

 

だから、「条件」をつけているのは、自分だけ。

自分ができないことを罰しているのは自分だけ。

 

 

それより大事なことがある。

 

「自分が自分をどう思っているのか?」

 

「価値」が必要だと思ってしまうのは、

「価値」が足りないと思っているから。

 

その自信の無さが言動に表れる方が、

本来持っているはずの生き生きとした輝きを表現できない。

 

よっぽど強いダメージな気がします。

 

自分で自分が好きになれないと、たとえ、親密になれたとしても、

いつも気にしてしまいます。

 

 

親密になれた大きな喜びと同時に、

 

同じだけ大きな不安を抱え込むことになるのです。

 

「この幸せを失うかも」という不安。

 

「価値」が足りない自分より、

「価値がある」ひとに奪われるかも。

 

そして、どんどん「自分ではない」ものになろうとします

 

良く思われたいから、

 

相手にあわせて、自分の気持ちを押さえてしまう。

 

髪が長い娘が好きなのか~。

細身の女性がタイプなのか~。

お料理上手い人がいいのか~。

おとなしい恥ずかしがり屋さんがいいのか~。

 

ん?

私とぜんぜん違う。

 

でも、彼が好きなら、そうならなきゃ!

 

好きだった髪型を変えて、

なんとか痩せようとダイエット、

包丁を持ってオロオロ、

言いたいことも我慢する。

 

でも、それは不自然だから、どこかに無理が生じてくる。

ほんとうの自分じゃないから、いつも緊張してるみたい。

 

我慢していることが、苦痛になってくる。

 

どうでもいいから好き!なはずが、

 

自分が我慢をしてる分、相手に見返りを期待して当然。

と、思い始めたり、

 

どうしてわかってくれないの?

と、怒ったり、悲しくなったり。。

 

この堂々めぐりの ひとり劇場を

終わらせるには、

 

「価値」という考えの枠を無くすこと。

 

見た目の「価値」、内面の「価値」という

ハードルを作ったのは自分なんだ と思い出す。

 

自分ができないことを許すこと。

無理して できなくてもいいんだ。と。

 

そして、ひとと比べないこと。

 

比べることは意味がない。

 

美人?スマート?賢い?器用?

 

取り繕うことに懸命になると

ほんとうの自分の美しさを見失ってしまいます。

 

わたしはこのままで美しい。

無理してできなくてもいい。

 

自分らしくいられると、心が穏やかになってきます。

 

自分が自分を認めて、素の状態を出せること。

それが ほんとうの自分。

偽りのない自分。

 

自分を犠牲にすることはありません。

 

自分の意見は伝える。

 

でも、

それをどう受け取るのかは

相手の問題。相手の自由

 

好きなひとに「好き」「大切なんです。」

と伝う前に、

 

自分に「好き」「大切なんです。」と

言えたら、

 

飾らない、純粋な気持ちでいられます。

 

 

伝えたことを

相手がどう受け取るかは

様々でしょうが、

 

その前に、

自分に素直に伝えられた。

ということこそが、

大切なのです。

 

 

ひとを好きになるという感情を

自分を好きになることで、

純粋に育てることができます。

 

 

もう一歩、先に進めると、

 

「自分を許す」ことの先に

「相手も許す」ことができるようになります。

 

相手がよそ見していても、

他の人に興味を持っているようでも、

会いたいのに会えない時も、

意見が違っても、

思うように応じてもらえなくても、

 

相手の意思を大切にできる。

 

そうしたいんなら、どうぞ。

 

でも、わたしはあなたが好き。

 

 

相手が喜んで、楽しんでいることを心から自分も喜べる。

 

相手は相手の自然のままで、居心地良くいてくれることを幸せに感じます。

 

 

ちょっと難しいことですが、少しずつでも意識してみてください。

そうなれると、嫉妬したり、疑ったり、心配することが少なくなっていきます。

 

自分が無理をしないでいられて、

相手にも無理を強いることがない、

 

平和な関係。が理想です。

 

どうでもいいから好き!でいられます。

 

 

え?無理?

わかりますよ。

 

好きだから束縛したい。

何を考えているのか知りたい。

好きでいてくれるのか確かめたい。

 

ですよね。

 

 

どんなに親密になれても、そんな思いはキリがありません。

 

束縛したいという思いは、

自分の中にある「安心したい」という気持ちがあるから。

 

「安心したい」は「安心できない」という「恐怖」の気持ちがあるから。

 

 

それなら、あなた自身は、自分の気持ちが絶対揺らがない!

ことが約束できるでしょうか?

 

「気持ち」は、常に動いています。

 

ささいなことで、喜んだり、驚いたり、悲しんだり、怒ったり。

 

なんと動きの激しいこと。

 

感情が動くのは当たり前。

 

動き続けているのに、安定しないのが生きている心なのに、

「安心」なんて、無いのに等しい。

 

だから、それより、もっと先に進みましょう。

 

喜んだり、驚いたり、悲しんだり、怒ったりするのは当然。

 

だけど、大丈夫。

 

感じることはとても大切。

 

そして、

感じたなーと、納得したら、

それで終わり。

 

感じるのは、自分だけ。

 

ひどいわ!と怒ったら、

じーっとその感情を感じる。

寂しいなーと感じたら

じーっとその感情を感じる。

 

で、しばらくしたら、

 

さ!次!

と、切り替える。

 

普段の気持ちにリセットします。

 

どうでもいいから 好き!に。

 

そうすると、

また、同じことが起こっても、

感じ方が変わってきます。

 

そのうち、慣れてきます。

怒る強さ、寂しい感覚が小さくなってきます。

 

諦めるのとは違います。

 

きちんと「感じた」なら

それは、諦めたのではなく、

感じ終わったから。

 

我慢はしてはいません。

 

偽りの笑顔ではないのです。

ほんとうに喜んで見ていられる。

 

そして、堂々めぐりも終わらせられます。

 

次の段階へ進んでいるのです。

ステージが変わるように。

 

「ひどいわ!」と思った自分が変わります。

 

「寂しいな」と感じた自分が変わります。

 

だから、

相手への感情が変わります。

 

こうして

「相手を許す」

 

つまり、

 

強がりでもなんでもなく、

そんなことは、どうでも良くなる。

心に真の余裕ができます。

 

 

感情が大きく動く

 

「ひとを好きになること」は

 

ほんとうに生き生きとした変化が生まれます。

 

 

やっかいな、不安定感も味わいますが、

 

それも、どんどん味わいつくし、

 

ワクワク楽しめることも多いものです。

 

 

そして、

人生で大切なこと。

 

自分が自分自身をどう思っているのかを

見つめ直すチャンスです。

 

たとえ相手が替わろうと

 

自分を見つめていく道は

生きている限り続くもの。

そして、成長していくもの。

 

 

幸せは

自分の中に見つけられる。

 

こだわりのない穏やかな心。

 

 

素のままの自分で、幸せを感じて、

相手も

素のままの相手で、幸せを感じて、

 

それを、お互いが、ともに分かち合えるような

 

関係がいいですよね。

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忘れられない日

忘れられない日

 

今日は、11月8日。

数字に弱い私が、

忘れられない日にちです。

 

20年前。娘が怪我をした日。

 

 

「なんでこんなことが

起こるんだろう?」

 

いろいろ考えました。

 

あのとき、

あそこに行かなければ?
私がきちんと見守っていなかった?
娘を何かで責めていた?
私がイライラしていた?
健康管理ができていなかった?

 

そして、

子育ての大きな「責任」を、

さらに重たく感じた出来事でした。

 

「罪悪感」

 

親は、

子供の思う通りに

させてやれないことを、

 

自分のせいだと

思うことが多いものです。

 

そして、

不意に起こった事故に対して、

 

「二度とこんなことが起きないように!」

と自分を戒め、

 

より、強く「責任」を

自分に課していく。

 

 

その体験で、生きていくために

必要なことも学びますが、

 

「責任」も「罪悪感」も、

強く感じすぎると

バランスが崩れます。

 

知らず知らずのうちに、

他のことにまで影響します。

 

それに気付かず過ごしていると、

今度は別の出来事で

「バランスがわるすぎる」

ことを知らせてくれます。

 

 

こんな仕組みだったなんて!

やっと、知ったわ。

 

 

「入院生活。面白かったね。」

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