帰ってくる場所

帰ってくる場所

この角度からの松江の景色は初めてでした。

嵩山の山頂は、とても見晴らしが良く、

大山の方向も絶景でした。

 

 

高校卒業から松江を離れ

大学、就職。

途中、松江に戻り就職しましたが、

しばらくして結婚で、また県外。

 

 

「妻」「嫁」「母親」という役を演じ、

それまでも、

「娘」「姉」「友人」「学生」という役。

 

それぞれの役柄の

最高のパフォーマンスを目指すことが

「生きている意味」だと捉えていたので、

役柄を演じきれない

自分の能力の低さを

常に不満に感じていました。

 

 

私はほかのなにものでもない私。

 

 

「役」を演じることを

どんどん手放して、

ようやく自分らしさを取り戻しました。

 

 

20歳代の頃の私を知る方と

35年ぶりにお会いしたら

 

「ちっとも変わらないね。」

 

と言われましたが、

 

「あれからいっぱい「役」をもらって

演じながらいろんな体験をして、

「役」を演じるのを辞めれることを知って、

「私」に戻ったところなんです。」

 

とご返事しました。

 

 

いちばん自分らしくいられる場所は、

外側ではなく内側にあることを

知ることができた幸せを

強く感じています。

 

 

どんどん変化している街並みと

ひとの流れ。

 

でも、

 

宍道湖と美しい山々に囲まれて、

祝福されたような

豊かな自然の産物に恵まれて、

優しく心豊かな人々が住んでいる。

 

 

松江にあるこの

ありあまる富に

 

ほんとうに気づいている人との

出会いが始まりました。

 

私の身体の芯が震えるほど喜んでいます。

 

 

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「手放す」ことの大切さ

「手放す」ことの大切さ

過去の多くの場面で
たくさんあった選択肢の中から
選んできたものに
いま、わたしは囲まれている。

 

「やる?」「やらない?」
なら

必ず「やる!」

決めていた。

 

やらないで
出た結果に後悔したくない。

できるだけのことを
やり尽くしてみたい。

 

でも、
あとになって
「なんでこんなことしたんだろう?」

感じることもある。

 

それでも

「やってみたい!」と
強く思って始めたことは

なかなか終わらせることが
できないものでした。

 

そこに
「感情」がくっついているから。

 

外に向けてのプライド

自分は間違っていない
という「良い悪い」のジャッジ

誰かに迷惑をかける罪悪感

挫折という自己否定

そして
自分を許せない。

他人には理解できない
意味不明な行動には

 

こんなものたちが
いつのまにかくっついていて
動けなくなってしまう

 

カラクリがありました。

 

 

それは時間が経つにつれ、

注がれ続けた

のような作用をもたらす
こともあります。

 

 

たった一つの過ちに
いつまでも囚われて
どんどん自分を
傷つけていく。

 

こんな人の姿を
身近で何人も見てきました。

 

それは

どんなに頭が良くても
どんなに頑丈な身体でも
どんな地位にあろうとも

心の中の
やわらかい部分は
繊細なものです。

 

 

むしろ

「強くあらねば!」
「正しくあらねば!」と
思う人ほど

強く自分を縛って
過ちを許せない。

「なんて奴なんだ!」
「これじゃダメだ!」

 

はやく そこに気づいて!
何度も言いたい衝動を
抑えて

 

自分で気づく
「学習」を
していただくしか
ありません。

 

わたし自身も
そうやって
自分で気づいたからこそ
手放せた。

 

傷つけているのは
自分自身なんだと
自分で納得したから
行動できたのですから。

 

もっともっと気楽に
楽しく
自由に

 

「やっちゃったな〜〜」
「できない自分も許そう」
「はい!次に行こう!」と
軽いフットワークになるために

 

「手放す」ことが どれだけ大切か。

 

いっぱい
くっつけてしまっていた
「感情」を
解放できる方法が
あることを

 

もっともっと
たくさんの人に
知っていただきたいです。

 

その「感情」を

四六時中感じ続けて

自分が自分を傷つけていることが

どれだけ不幸なことであるかに

気づいていただきたいのです。

 

RAS®︎のセッションでは
ストレスの原因となる
「感情」を
身体から直接導き出します。

 

そして
自分の力で
手放していく
「学習」をすることで

 

本人にしかできない
本人だけの問題の
形を変えていく。

 

「なんでこんなことしたんだろう」

少しでも離れてみることが
できるようになると
次に進むことが
できますよね。

 

いつまでも
囚われ続けない
区切りをつけることが
どれだけ大切なことか。

 

 

新しいキャンバスに
自由な自分を描いて
毎日、まったく違う絵を
重ねていける日々って
楽しいと思います。

 

 

 

 

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自分と向き合う

自分と向き合う

 

朝 目がさめると、まず、

「どう?」と 心に問う。

 

「いい感じよ〜〜」みたいに
言葉で返ってくるわけではない。

 

五感ではない、
もっと繊細な感覚。

 

布団を出て動き出してしまうと
失ってしまいそうな

 

のような感覚。

 

たとえて言うと、

 

「ただいまー」と
帰ってきた子供の

 

その声と、

 

「お帰りー」と
応じながら見る

 

姿と動き、

 

(ご機嫌ね。)の時もあるが、

 

(楽しいばっかりじゃ なかったんだな。)

を感じ取る時もある。

 

一瞬で受け取り

 

(そうなのね。)と思いながら

 

直接は問わない。

 

まだ、言葉にできない
モヤモヤしたかたまりなのか、

 

言ったら私にどう言われるかを
警戒しているのか、

 

子供が何か口にするまでは、
待っておく。

 

こちらから問うてしまうと
風が吹いてしまい
散ってしまう

 

霞。

 

母親が無意識に
子供に向けてやっていること。

 

 

「場の空気を読む」 というのにも
似ている。

 

自分の主観を入れずに

 

身体全体から
入ってくる情報を

『なんだ?』と
感じ取ろうとする時、

 

目にはいってくるものを
一つ一つ
考えていては
ついていけない、

 

手放し状態。

 

集中
とも違う。

 

心の感覚の網を
パッと広げて
どこかでキャッチ
しようとする
ような
センサー

 

その場を管理する者が
無意識にやっていること。

 

 

それを
外側に向けずに 内側でする。

 

 

ついこの前までは

 

心臓の横に
つめたーい石のかたまり
があるような
感じがしていた。

 

それが、
だんだん小さくなり
あたたかくなり
やわらかくなり

 

かたまりはなくなった。

 

「しなくてはいけない」
を手放し、
「したい」ことを
増やして
きたおかげ。

 

こんなことさえ
わからなくなっていた。

 

義務
責任
負担

 

の中に
埋め込んでいた「自分」を
発掘作業し始めた。

 

化石と化していた
かたく冷たい かたまりを

叩くのではなく、

 

ホコリをはらって
両手で包んで
あたためてきた。

 

こんなところにあったんだ。
私の大切な宝が。

 

気づけてよかった。

 

いまは

やわらかな熱を帯びた
小さな太陽が
あることを
感じ取れる。

 

心臓の鼓動とともに
その太陽の輝きが
全身をめぐっている。

 

でも、そのめぐりは

霞のように繊細だから
強い風に
吹き飛んでしまう。

 

悲しみ
恐怖
不安
緊張

 

ビリビリと稲妻が這う
その嵐の中でも

 

心臓の横にある
小さな太陽は
確かに ある。

 

もう、冷たい石じゃないから、

思い出したら
いつでも
そこに戻ってあたたまれる。

 

 

「ただいま!」の
顔が 晴れ晴れしているように。

 

ドッと笑いが満ちた会場の
濃くなった 空気のように。

 

輝く光の粒子が
いつまでも舞っていて
それを
からだに纏って動き続ける

 

イメージができたら
OKサイン。

 

布団を出てスタート!

 

 

 

 

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この野郎!

この野郎!

 

 

この野郎!

こんなことでいいと思っているのか!

この野郎!

こんなことやっちまいやがって!

この野郎!

こんな簡単こともできないのか!

この野郎!

こんな当たり前のことも知らないのか!

この野郎!

こんな大切なことを忘れてしまったのか!

この野郎!

こんな単純なことも考えられないのか!

この野郎!

いつまでグズグズしてるんだ!

この野郎!

こんな大事な時に何やってんだ!

この野郎!

つまりはお前になんかに

才能なんてありはしないんだ!

この野郎!

自分が特別だなんて

思ってるんしゃないのか?

この野郎!

もっとしっかりしないと

ダメじゃないか!

この野郎!

偉そうなこと言っても、

自分はどうなんだ!

 

この野郎!何に苦しんでるんだ?

この野郎!幸せじゃないのか?

この野郎!なんで動けないんだ?

 

 

この野郎!

これでいいんじゃないか?

この野郎!

こんなことできなくて

いいんじゃないか?

この野郎!

こんなこと知らなくても

いいんじゃないか?

この野郎!

こんな大切なことでも

お前が要らないなら

忘れていいんじゃないか?

この野郎!

こんなこと考えられなくて

いいんじゃないか?

この野郎!

ゆっくりしてれば

いいんじゃないか?

この野郎!

こんな大事な時だから

楽しんでいいよな!

この野郎!

やりたいことが

才能なんだよな!

この野郎!

自分は特別大事なんだぞ!

いなくなったら困るからな!

この野郎!

出来ないことやしたく

ないことは

しなくていいんだぞ!

この野郎!

自分が感じたら、

言ったらいいんだぞ!

 

 

この野郎!

 

そのまんまで いいんじゃないのか?

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蝶になる

蝶になる

 

このままでいいのか?

 

ふと、不安に感じる時がありました。

 

日本の食卓は
世界中から集まってくる
多くのものにあふれています。

 

子どもの頃、
バナナの出現に驚いたことを
よく覚えています。

 

遠い南国のフルーツが
目の前に来たことの不思議さ。

 

濃厚な甘さに
砂糖とは違う魅力を感じて
たくさん食べたいものだ。と
思ったものです。

 

高校生の時は「ピザ」

 

東京の友人宅に
泊めてもらいながらの
1週間の東京見物で

 

レストランのメニューで
はじめて目にしたピザの字に
「なんだろう?」と注文して

 

その美味しさに感激し、
自宅に帰ってから
探してみたら、
冷凍ものが
買えることがわかりました。

 

大学時代はバブル期。

 

大量の輸入ものの出現や
飲食店が増えていくことを
目をまるくしながら
眺めていました。

 

 

身体の弱い長男を
子育てし始めて

初めて
輸送のための防腐剤や
防虫のための
大量の薬が使われて
それが残留したものを
食べていて

その影響を受けたのだと
知りました。

 

 

毎日通うスーパーには
生鮮野菜であっても
大規模農家で作られた
遠い土地のものが多くなり

あまり美味しくないものを
栄養があると信じて
買っていました。

 

食べ物だけでなく、

衣服も、
日用品も、
乗り物も、
家具も、
建物も、
医療も医薬品も、

 

パソコンや電気製品も、

 

そしてエネルギーも、

 

こんなに買って
こんなに使って。

 

子どもたちが学校に入ると
教育現場も
大きく様変わりしていることに
驚きました。

 

田んぼのなかの道を通り
季節を肌で感じながら通学し、
石炭ストーブのまわりで
お弁当をあたためながら
友だちと遊ぶことが
一番楽しい日々。
下校してからも
また、遊びに出て
おたまじゃくしを探したり
干された稲穂に埋もれたり。

 

そんな育ち方をした私は

 

道路を歩くことさえ
危なくて目が離せない
近所で自由に遊び回れない
子どもたちの置かれた環境に
産んだものとしての責任と
大きな戸惑いで
混乱しました。

 

家の中で楽しめるもの?

 

どこかに連れていって
生き生きとできる場所なんて
あるのか?

 

習い事を増やしたり、
オモチャやゲームを買ったり。

 

たまに景色の良い
山や公園に連れて行きましたが
車に乗って遠くに行かないと
なかなか良いと思える場所は
ありませんでした。

 

こんなことでいいのか?と
思いながらも
なぜか立ち止まれない。

 

人間ひとりが生活するのに
どれだけのものが必要なのか?

 

それよりもっと
大切なことが
あるんじゃないのか?

 

増え続けていくことを
疑問に思いながらも

ただ情報を集めて
良いと思えることを
選んでいくようにする
ぐらいしかできなかった。

 

いつかは、
見直さないといけない
だろう。

それは、
いつかは分からないけど。

 

どうなるんだろう?
子どもたちの生きる未来は?

 

 

いまの私たちは 芋虫。

 

体重の何倍もの葉を
黙々と食べ続けている。

 

何でもかんでも口に入れ
試してみないとわからない。

 

ムシャムシャと
ものすごい勢いで

 

手当たり次第に

 

葉の本体の
木を枯らしそうな
勢いで
突き進んでいる。

 

環境破壊。

 

わかっていても
自らの役割を果たすしかない。

 

命を守るのはイモムシの仕事。

 

ある日、突然 ストップ。

 

あらかじめ
決まっていたかのように
静かになる。

 

死んでいるように
固まってしまった中で
奇跡が起こっている。

 

極限まで太らせた
その身体自体を溶かして

 

まったく別のものへと
変化を始める。

 

 

古いものと新しいものが
共存している間に

命を守るのは
イモムシの仕事だった。

 

だから、

 

イモムシを嫌っても解決にならない。

 

蝶が好きなら
イモムシを踏みつぶしたりしない。

 

 

まったく違うものへ
自分の中から変わろうとする。

 

自分で気づいて
変わることができる。

 

新しい循環が始まる。
多くのものの仕組みが変わる。

 

その奇跡が
起こることを
知っているから

 

いまは、
これでいいんだと

 

安心しています。

 

このままで、いいんだ。と。

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子供への想い②

子供への想い②

 

私は、

この人が 好きだったんだ。

 

 

「私の生んだ子」

「年齢差」

「性別」

「問題だと思っているところ」

 

これらを全部取り払ったら

 

「好きな人」だと

気がつきました。。

 

 

純粋な気持ちで見直すと

 

 

無理をしないで自然に生きている

 

優しく落ち着いた

理想の人

 

 

現代の生活には

そぐわないかもしれないけど、

 

お金のことや

食べること

いろいろなしがらみが

ない世なら

 

 

純粋に 「好きな人」

だなー

 

今日 はじめて 気がつきました。

 

 

私が「問題」だと思っていた

いろんなできないこと。

スムーズに動けないこと。

意思が伝わりにくいこと。

 

本人が 慌てている姿に

こちらが慌てて

 

それを不快に感じて

しまっていただけ。

 

 

この人が 生きている。

ただそれだけで 

幸せじゃないか!

 

 

もし、この人が

近所に住んでいる

他人

だったら、

 

「いい感じの人だな、」と

純粋に思える。

 

何ができようが

何ができなかろうが

関係ない。

 

見ててすっと

胸に入ってくる

あたたかい感覚。

 

もし、

遠く離れていたとしても、

 

たまに会えたら、

たまには話ができたら、

 

嬉しい。

 

 

ここまで純粋に感じることが

できました。

 

 

ただ純粋に好き。

 

という

 

存在が あることを

 

 

私の子供として生まれ、

私から巣立っていくものとして、

見せてくれている。

 

 

近所に住んでる他人

では

味わえない

 

強いつながり

 

 

あらかじめ

決めていたこと のような

 

この濃い関係。

 

 

「存在」 の 意味を

常に信号として

 

光続けて

見せてくれていた。

 

ただそこにある

美しい絵のように

静かなものとして。

 

あらためて

見とれてしまう

私がいました。

 

 

この人は

戸惑っていたんだ。

 

目の前の私から

愛情は感じるのに、

 

「なんで嫌なことさせるの?」

 

したくないのに、

しなきゃいけないって

どうして?

 

 

 

「親だから」

教育しなければ!と

強い考えで

見本になろうとし、

 

「これが できなきゃ!」

「ここに 行かなきゃ!」

「いま、

これを知っておかなきゃ!」

 

たくさんの項目を

押し付けてきた。

 

 

そんなことを

一日中

考えていた。

心配していた。

 

 

ほんとうは 一日中

 

「好きだな」と

 

感じたり、言葉にしたり、

 

楽しく仲良く

もっともっと

たくさんすれば良かった。

 

 

たまーに

 

「これ、どうかな。」と

提案するくらいで

 

どうするかは

本人に任せて

 

手放ししてれば

楽しかっただろうな。

 

彼が 慌てている姿は

 

実は 私の心の中が

慌てていたのを

 

表現してくれていただけ。

 

これで いいのか?

このままいっても 大丈夫か?

周りと あまりにも違いすぎる!

こんなんじゃ きっとダメ!

 

と、

私が 慌ててしまっていた。

 

愛すれば愛するほど

心配で 不安で。。

 

 

そういう「視点」が

できてくると

 

私の父も

好きだな〜

 

私の母も

好きだな〜

 

会えば小言から始まっても、

心配かけてるな と

申し訳なく思っても、

 

すぐに思い浮かんでしまう

細々した思いを

すべて取り払ったら、

 

いい人 だな。

好き だな。

 

純粋な愛情が

ふんわりと 身を包みます。

 

この人が 生きている。

ただそれだけで 

幸せじゃないか!

 

そういうことを

感じるための

家族 なんだ。

 

あまりにも身近すぎて

あまりにも当たり前で

あまりにも空気のように自然

 

でも、

確かに存在し続けている関係。

 

 

 

 

戦争はないけれど

心の中で

戦争をしなくてはいけない

今の世の中が

 

もっともっと

平和になったなら

 

 

彼はほんとうに個性を発揮して

 

楽しく自由に才能を

 

花開かせるでしょう。

 

 

そうなるように

今、私が平和な心でいよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「答え」は本人が持っているから

「答え」は本人が持っているから

私が資格をいただいた

RAS認定ファシリテーター®

 

自分の本質を生きることを

妨げる「感情」を

解放し終わっています。

 

それは、一番大切なこと。

 

自分の本質とのつながり

スムーズでないと

 

セッションは

できないからです。

 

 

クライアントの

「筋反射」という

身体の反応を

 

正確に読み取るためには

 

 

ファシリテーター自身の

内側が

整っていることが

最大の資格

となります。

 

 

私の「感情」が

邪魔をしてはいけないから。

 

✴︎見た目や年齢からの

先入観を持たないこと。

 

✴︎「こうしたら良いんじゃないのか?」

と、

判断しないこと。

 

 

✴︎「こうなって欲しいな。」

と、

願望を加えないこと。

 

✴︎「こうしてあげたい。」

と、

助けようとしないこと。

 

これらは全て

正確な読み取りの

邪魔をする。

 

筋反射を取る意味が

なくなってしまいます。

 

 

「答えは本人が持っている」

 

それ以外にはありえない。

 

 

それまでの人生での

環境や体験の積み重ね

 

そして、

これからの人生に必要なことは

 

誰一人として

 

同じものは無いから。

 

 

本人だけが

持っている答え。

 

 

とても純粋な

そして単純な仕組み。

 

 

ただ淡々と

「YES」「NO」の反応を

必要な手順を踏んで

 

通訳するだけです。

 

 

でも、

私も人間ですから、

 

日々の生活で

いろんなことが起こります。

 

 

「なんでこれ嫌いなんだろう?」

という小さなことから

「右の脇腹が痛い!」

「車をぶつけた!」

「うまく行かないな~」

揉め事や、

悲しいことも。

 

まだまだたくさんの

体験を積み重ねていきます。

 

 

その度に

 

自分の中にある答えを

探しに行きます。

 

全てです。

 

全ての出来事に

意味があるから

感じるから。

 

 

「答えは本人が持っている。」

 

 

その作業を

繰り返しながら、

自分自身で出来事を

作り出していることが

わかってきます。

 

そう「感じて」いるだけ。

ストレスと感じて いるだけ。

 

 

私がこうして

繰り返している

「自分と向き合う」

 

ことを

 

本人ができるようになる。

 

そのための

セッションです。

 

 

たとえお悩みの内容に

似たような体験をしていても

セッションの中では

アドバイスすることは

できません。

 

本人が

本人の力で

たどり着けなければ

意味がないからです。

 

本人だけが

たどり着ける力

 

 

その力を信頼しているから

セッションの意味があります。

 

 

どうしようもないと

行き詰まっている

ポイントだけを

本人の身体から

読み取ること。

 

 

これが、とても大切。

 

 

クイズの答えを知るよりは

「なんだろう?」

 

考える過程を楽しむことに

似ていますよね。

 

 

大切なのは過程です。

結果だけならジャンケンでいい。

(羽生善治)

 

この言葉。

好きなんです。

 

 

はやく答えが知りたくても、

 

クイズのように

万人共通の答えではないから

 

だからこそ

筋反射。

 

それを読み取る

セッションです。

 

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RASを始めたきっかけ

RASを始めたきっかけ

 

 

RASを始めたきっかけは、

 

教えていただいたことが

「とても面白い」

と、感じたからでした。

 

 

子育て中から始まった

ひどい腰痛が

長年の悩みでした。

 

 

RASは治療とは違います。

 

 

でも、私が感じていた

腰痛の「問題」。

 

 

そのストレスのせいで

 

自由に動くことを

自分で制限していたことを、

なんとかしたいと

思っていたところでした。

 

 

PTAの役員や

何かの仕事を引き受けたり

旅行に行くことなども、

 

途中で具合が悪くなり

責任を果たせなかったり、

迷惑をかけてはいけないと

億劫になってしまっていました。

 

 

腕の良い整体師さんを

紹介してもらって 通ったり、

良い治療法があると聞けば

いろいろ試してもみました。

 

 

とにかく動かすことが

良いことと思って

 

運動も、

いろいろやってみました。

 

 

無理して動いたあとには

ギックリ腰を

何度も経験しました。

 

 

 

腰痛という

「外側」にある問題は

 

私が心で感じていた

「内側」の問題を

知らせてくれている。

 

教えていただきました。

 

「感情」??

 

 

ワクワクしたり 嬉しいと

身体がポカポカしてきたり、

足取りも軽くなってきて、

 

感情は

身体に大きな影響を

及ぼしているとは

感じていましたが、、

 

 

辛いことがあると

不安になって 体温がさがり

手先が冷えたりすることも、

感じていたので、

 

なるべくマイナスの感情は

感じないように

注意していました。

 

 

どんなことでも

「受け取り方だ」と思って

 

頼まれたら

嫌なことでも我慢して

断らないことが

良いことだと信じていました。

 

 

メンタルトレーニング

を受けると

プラスの感情の言葉で

身体に力が入るので

重たいものも重たくない!

嬉しいこともありましたが、

 

マイナスの感情に

向き合うことなどは

習ったことが

ありませんでした。

 

 

むしろ、避けたい。

 

 

そんな感情を持ってしまうこと

自体が不快。

 

そんな感情を持ってしまう

自分が嫌い。

 

 

なんでも「嫌!」 と感じずに、

 

なんでも「大丈夫ですよ~」

(^_^)

 

と、心の広い

ひとでありたい。

 

 

だから、

いったい どんな「感情」を

私は感じていたのか?

自分の感情なのに

なんで分からないのか?

 

とても不思議に思いました。

 

 

マイナスの感情を

押さえている。

 

ことが、

 

実は「大問題」でした。

 

 

「押さえている」ということは

 

感じていたのに

感じたかったのに

 

「ダメ!」と断られるようなもの。

 

 

赤ん坊が

オギャーと泣こうとしている

口を

塞いでしまって

いるようなもの。

 

 

なぜ泣くのか?の

原因を解決できなければ

泣き続ける。

 

 

 

ハッキリと言葉にできたら

わかりやすいのに。。

 

感情も

そんなところが

ありますよね。

 

 

でも、

純粋だった

赤ん坊の感情表現が、

 

成長するにつれて

複雑になり、

 

言葉にできるようになっても、

 

親の顔色を伺ったり、

友だちの驚く様子で

反省したり、

 

次第に知恵を働かせ、

 

純粋に感情を表現できなく

なってきたのも

仕方のないことでした。

 

 

 

そして、

セッションを受けて

はじめて

 

私が押さえてしまっていた

感情が何かを

 

知ることができました。

 

 

その言葉は

私からストレスを

「解放」するために

覚えておかない方が良いと

言われました。

 

 

人によって違うものです。

 

 

ギックリ腰の痛みを抱えながら

その日のセッションを

受け始めましたが、

 

終わる頃には

身体が納得したのか

ずいぶんと楽になっていました。

 

 

どういうふうに

変化が起こるのかは

人によって様々なので

「こうなります」とは

言えませんが、

 

 

私は

「感情か。面白いな。」

意外な観点に興味を持ちました。

 

 

 

押さえていたら

自分の感情なのに

わからなくなってしまう。

 

どんな感情だったのか?を。

 

 

そして

同じように「嫌だ」と

感じる出来事で

より強く感じるようになる。

 

 

でも「嫌だ」は

マイナスの感情だから

それまでどおり

押さえてしまう。

 

 

この繰り返しを

重ねていって、

どうにも押さえきれない

ところまで

行ってしまった結果が

 

 

腰痛

そして

ギックリ腰

 

 

身体が動けなくなって

頼まれごとなど

引き受けるどころか

 

こっちから

人さまに

頼まなければ

いけなくなってしまう。

 

 

赤ん坊に

戻ったみたいに。

 

「やって~~!」

 

 

 

「なんでも 大丈夫。」で

いたいのに。

 

「なんにも できない。」

 

 

 

「あー

無理しちゃいけないな。」

程度なら

それまでも反省してましたが、

 

 

なんと原因が

「感情」だった

だなんて、

 

教えていただくまで

気がつきませんでした。

 

 

 

「面白いな!」と

ワクワクしながら

 

始めることに

なったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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人を好きになるということ

人を好きになるということ

 

人を好きになると、

 

「結局は、自分と向き合うことになるんだなー」

 

と、思います。

 

 

好きだと言って欲しいから、

自分の価値を認めて欲しくて、奮闘します。

 

そう、「価値」

 

「見た目」の価値だったら、

 

綺麗だと言って欲しい。

肌がすべすべ。

指の形がいい。

髪型が素敵。

若々しい。

つやつやしている。

ほどほどの体型で、

太りすぎじゃないけど、

柔らかくて、女らしい。

 

ここが好き って言ってもらえるように、どこもかしこも気になります。

 

 

「内面」の価値だったら、

 

優しい。明るい。癒してくれる。

常識がある。話してて楽しい。

しっかりしている。

などなど。。

 

他の女性と比べては、ダメだダメだと思いながらも、なんとか良く見せようとする。

 

そして、その項目はキリがなくなる。

 

どんだけポイント高くしたいの?

 

 

自分で思っているほど、人は気にしていないものです。

 

 

化粧品売り場で、とっても気になっているシミをカバーして欲しいのに、

 

「え?そんなに目立ちませんよー」と言われて、初めて気がつくようなもの。

 

自分だって、その人を好きになった理由は、そんな細かいところじゃなかったりする。

 

見た目、と言っても、目の輝きだったり、身体全体の動きだったり、

 

内面、と言っても、なんでも理解してもらおうとは思っていないから、

意見の違いも気にしない。

 

ただ、一緒にいたいだけ。

理由なんて、探したらあるけど、

 

どうでもいいから、一緒にいたい!

 

 

だから、「条件」をつけているのは、自分だけ。

自分ができないことを罰しているのは自分だけ。

 

 

それより大事なことがある。

 

「自分が自分をどう思っているのか?」

 

「価値」が必要だと思ってしまうのは、

「価値」が足りないと思っているから。

 

その自信の無さが言動に表れる方が、

本来持っているはずの生き生きとした輝きを表現できない。

 

よっぽど強いダメージな気がします。

 

自分で自分が好きになれないと、たとえ、親密になれたとしても、

いつも気にしてしまいます。

 

 

親密になれた大きな喜びと同時に、

 

同じだけ大きな不安を抱え込むことになるのです。

 

「この幸せを失うかも」という不安。

 

「価値」が足りない自分より、

「価値がある」ひとに奪われるかも。

 

そして、どんどん「自分ではない」ものになろうとします

 

良く思われたいから、

 

相手にあわせて、自分の気持ちを押さえてしまう。

 

髪が長い娘が好きなのか~。

細身の女性がタイプなのか~。

お料理上手い人がいいのか~。

おとなしい恥ずかしがり屋さんがいいのか~。

 

ん?

私とぜんぜん違う。

 

でも、彼が好きなら、そうならなきゃ!

 

好きだった髪型を変えて、

なんとか痩せようとダイエット、

包丁を持ってオロオロ、

言いたいことも我慢する。

 

でも、それは不自然だから、どこかに無理が生じてくる。

ほんとうの自分じゃないから、いつも緊張してるみたい。

 

我慢していることが、苦痛になってくる。

 

どうでもいいから好き!なはずが、

 

自分が我慢をしてる分、相手に見返りを期待して当然。

と、思い始めたり、

 

どうしてわかってくれないの?

と、怒ったり、悲しくなったり。。

 

この堂々めぐりの ひとり劇場を

終わらせるには、

 

「価値」という考えの枠を無くすこと。

 

見た目の「価値」、内面の「価値」という

ハードルを作ったのは自分なんだ と思い出す。

 

自分ができないことを許すこと。

無理して できなくてもいいんだ。と。

 

そして、ひとと比べないこと。

 

比べることは意味がない。

 

美人?スマート?賢い?器用?

 

取り繕うことに懸命になると

ほんとうの自分の美しさを見失ってしまいます。

 

わたしはこのままで美しい。

無理してできなくてもいい。

 

自分らしくいられると、心が穏やかになってきます。

 

自分が自分を認めて、素の状態を出せること。

それが ほんとうの自分。

偽りのない自分。

 

自分を犠牲にすることはありません。

 

自分の意見は伝える。

 

でも、

それをどう受け取るのかは

相手の問題。相手の自由

 

好きなひとに「好き」「大切なんです。」

と伝う前に、

 

自分に「好き」「大切なんです。」と

言えたら、

 

飾らない、純粋な気持ちでいられます。

 

 

伝えたことを

相手がどう受け取るかは

様々でしょうが、

 

その前に、

自分に素直に伝えられた。

ということこそが、

大切なのです。

 

 

ひとを好きになるという感情を

自分を好きになることで、

純粋に育てることができます。

 

 

もう一歩、先に進めると、

 

「自分を許す」ことの先に

「相手も許す」ことができるようになります。

 

相手がよそ見していても、

他の人に興味を持っているようでも、

会いたいのに会えない時も、

意見が違っても、

思うように応じてもらえなくても、

 

相手の意思を大切にできる。

 

そうしたいんなら、どうぞ。

 

でも、わたしはあなたが好き。

 

 

相手が喜んで、楽しんでいることを心から自分も喜べる。

 

相手は相手の自然のままで、居心地良くいてくれることを幸せに感じます。

 

 

ちょっと難しいことですが、少しずつでも意識してみてください。

そうなれると、嫉妬したり、疑ったり、心配することが少なくなっていきます。

 

自分が無理をしないでいられて、

相手にも無理を強いることがない、

 

平和な関係。が理想です。

 

どうでもいいから好き!でいられます。

 

 

え?無理?

わかりますよ。

 

好きだから束縛したい。

何を考えているのか知りたい。

好きでいてくれるのか確かめたい。

 

ですよね。

 

 

どんなに親密になれても、そんな思いはキリがありません。

 

束縛したいという思いは、

自分の中にある「安心したい」という気持ちがあるから。

 

「安心したい」は「安心できない」という「恐怖」の気持ちがあるから。

 

 

それなら、あなた自身は、自分の気持ちが絶対揺らがない!

ことが約束できるでしょうか?

 

「気持ち」は、常に動いています。

 

ささいなことで、喜んだり、驚いたり、悲しんだり、怒ったり。

 

なんと動きの激しいこと。

 

感情が動くのは当たり前。

 

動き続けているのに、安定しないのが生きている心なのに、

「安心」なんて、無いのに等しい。

 

だから、それより、もっと先に進みましょう。

 

喜んだり、驚いたり、悲しんだり、怒ったりするのは当然。

 

だけど、大丈夫。

 

感じることはとても大切。

 

そして、

感じたなーと、納得したら、

それで終わり。

 

感じるのは、自分だけ。

 

ひどいわ!と怒ったら、

じーっとその感情を感じる。

寂しいなーと感じたら

じーっとその感情を感じる。

 

で、しばらくしたら、

 

さ!次!

と、切り替える。

 

普段の気持ちにリセットします。

 

どうでもいいから 好き!に。

 

そうすると、

また、同じことが起こっても、

感じ方が変わってきます。

 

そのうち、慣れてきます。

怒る強さ、寂しい感覚が小さくなってきます。

 

諦めるのとは違います。

 

きちんと「感じた」なら

それは、諦めたのではなく、

感じ終わったから。

 

我慢はしてはいません。

 

偽りの笑顔ではないのです。

ほんとうに喜んで見ていられる。

 

そして、堂々めぐりも終わらせられます。

 

次の段階へ進んでいるのです。

ステージが変わるように。

 

「ひどいわ!」と思った自分が変わります。

 

「寂しいな」と感じた自分が変わります。

 

だから、

相手への感情が変わります。

 

こうして

「相手を許す」

 

つまり、

 

強がりでもなんでもなく、

そんなことは、どうでも良くなる。

心に真の余裕ができます。

 

 

感情が大きく動く

 

「ひとを好きになること」は

 

ほんとうに生き生きとした変化が生まれます。

 

 

やっかいな、不安定感も味わいますが、

 

それも、どんどん味わいつくし、

 

ワクワク楽しめることも多いものです。

 

 

そして、

人生で大切なこと。

 

自分が自分自身をどう思っているのかを

見つめ直すチャンスです。

 

たとえ相手が替わろうと

 

自分を見つめていく道は

生きている限り続くもの。

そして、成長していくもの。

 

 

幸せは

自分の中に見つけられる。

 

こだわりのない穏やかな心。

 

 

素のままの自分で、幸せを感じて、

相手も

素のままの相手で、幸せを感じて、

 

それを、お互いが、ともに分かち合えるような

 

関係がいいですよね。

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忘れられない日

忘れられない日

 

今日は、11月8日。

数字に弱い私が、

忘れられない日にちです。

 

20年前。娘が怪我をした日。

 

 

「なんでこんなことが

起こるんだろう?」

 

いろいろ考えました。

 

あのとき、

あそこに行かなければ?
私がきちんと見守っていなかった?
娘を何かで責めていた?
私がイライラしていた?
健康管理ができていなかった?

 

そして、

子育ての大きな「責任」を、

さらに重たく感じた出来事でした。

 

「罪悪感」

 

親は、

子供の思う通りに

させてやれないことを、

 

自分のせいだと

思うことが多いものです。

 

そして、

不意に起こった事故に対して、

 

「二度とこんなことが起きないように!」

と自分を戒め、

 

より、強く「責任」を

自分に課していく。

 

 

その体験で、生きていくために

必要なことも学びますが、

 

「責任」も「罪悪感」も、

強く感じすぎると

バランスが崩れます。

 

知らず知らずのうちに、

他のことにまで影響します。

 

それに気付かず過ごしていると、

今度は別の出来事で

「バランスがわるすぎる」

ことを知らせてくれます。

 

 

こんな仕組みだったなんて!

やっと、知ったわ。

 

 

「入院生活。面白かったね。」

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