松江でのセッションを始めます。山陰にお住いの方「まいぷれ松江」ご覧ください。

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自分と向き合う

自分と向き合う

 

朝 目がさめると、まず、

「どう?」と 心に問う。

 

「いい感じよ〜〜」みたいに
言葉で返ってくるわけではない。

 

五感ではない、
もっと繊細な感覚。

 

布団を出て動き出してしまうと
失ってしまいそうな

 

のような感覚。

 

たとえて言うと、

 

「ただいまー」と
帰ってきた子供の

 

その声と、

 

「お帰りー」と
応じながら見る

 

姿と動き、

 

(ご機嫌ね。)の時もあるが、

 

(楽しいばっかりじゃ なかったんだな。)

を感じ取る時もある。

 

一瞬で受け取り

 

(そうなのね。)と思いながら

 

直接は問わない。

 

まだ、言葉にできない
モヤモヤしたかたまりなのか、

 

言ったら私にどう言われるかを
警戒しているのか、

 

子供が何か口にするまでは、
待っておく。

 

こちらから問うてしまうと
風が吹いてしまい
散ってしまう

 

霞。

 

母親が無意識に
子供に向けてやっていること。

 

 

「場の空気を読む」 というのにも
似ている。

 

自分の主観を入れずに

 

身体全体から
入ってくる情報を

『なんだ?』と
感じ取ろうとする時、

 

目にはいってくるものを
一つ一つ
考えていては
ついていけない、

 

手放し状態。

 

集中
とも違う。

 

心の感覚の網を
パッと広げて
どこかでキャッチ
しようとする
ような
センサー

 

その場を管理する者が
無意識にやっていること。

 

 

それを
外側に向けずに 内側でする。

 

 

ついこの前までは

 

心臓の横に
つめたーい石のかたまり
があるような
感じがしていた。

 

それが、
だんだん小さくなり
あたたかくなり
やわらかくなり

 

かたまりはなくなった。

 

「しなくてはいけない」
を手放し、
「したい」ことを
増やして
きたおかげ。

 

こんなことさえ
わからなくなっていた。

 

義務
責任
負担

 

の中に
埋め込んでいた「自分」を
発掘作業し始めた。

 

化石と化していた
かたく冷たい かたまりを

叩くのではなく、

 

ホコリをはらって
両手で包んで
あたためてきた。

 

こんなところにあったんだ。
私の大切な宝が。

 

気づけてよかった。

 

いまは

やわらかな熱を帯びた
小さな太陽が
あることを
感じ取れる。

 

心臓の鼓動とともに
その太陽の輝きが
全身をめぐっている。

 

でも、そのめぐりは

霞のように繊細だから
強い風に
吹き飛んでしまう。

 

悲しみ
恐怖
不安
緊張

 

ビリビリと稲妻が這う
その嵐の中でも

 

心臓の横にある
小さな太陽は
確かに ある。

 

もう、冷たい石じゃないから、

思い出したら
いつでも
そこに戻ってあたたまれる。

 

 

「ただいま!」の
顔が 晴れ晴れしているように。

 

ドッと笑いが満ちた会場の
濃くなった 空気のように。

 

輝く光の粒子が
いつまでも舞っていて
それを
からだに纏って動き続ける

 

イメージができたら
OKサイン。

 

布団を出てスタート!

 

 

 

 

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蝶になる

蝶になる

 

このままでいいのか?

 

ふと、不安に感じる時がありました。

 

日本の食卓は
世界中から集まってくる
多くのものにあふれています。

 

子どもの頃、
バナナの出現に驚いたことを
よく覚えています。

 

遠い南国のフルーツが
目の前に来たことの不思議さ。

 

濃厚な甘さに
砂糖とは違う魅力を感じて
たくさん食べたいものだ。と
思ったものです。

 

高校生の時は「ピザ」

 

東京の友人宅に
泊めてもらいながらの
1週間の東京見物で

 

レストランのメニューで
はじめて目にしたピザの字に
「なんだろう?」と注文して

 

その美味しさに感激し、
自宅に帰ってから
探してみたら、
冷凍ものが
買えることがわかりました。

 

大学時代はバブル期。

 

大量の輸入ものの出現や
飲食店が増えていくことを
目をまるくしながら
眺めていました。

 

 

身体の弱い長男を
子育てし始めて

初めて
輸送のための防腐剤や
防虫のための
大量の薬が使われて
それが残留したものを
食べていて

その影響を受けたのだと
知りました。

 

 

毎日通うスーパーには
生鮮野菜であっても
大規模農家で作られた
遠い土地のものが多くなり

あまり美味しくないものを
栄養があると信じて
買っていました。

 

食べ物だけでなく、

衣服も、
日用品も、
乗り物も、
家具も、
建物も、
医療も医薬品も、

 

パソコンや電気製品も、

 

そしてエネルギーも、

 

こんなに買って
こんなに使って。

 

子どもたちが学校に入ると
教育現場も
大きく様変わりしていることに
驚きました。

 

田んぼのなかの道を通り
季節を肌で感じながら通学し、
石炭ストーブのまわりで
お弁当をあたためながら
友だちと遊ぶことが
一番楽しい日々。
下校してからも
また、遊びに出て
おたまじゃくしを探したり
干された稲穂に埋もれたり。

 

そんな育ち方をした私は

 

道路を歩くことさえ
危なくて目が離せない
近所で自由に遊び回れない
子どもたちの置かれた環境に
産んだものとしての責任と
大きな戸惑いで
混乱しました。

 

家の中で楽しめるもの?

 

どこかに連れていって
生き生きとできる場所なんて
あるのか?

 

習い事を増やしたり、
オモチャやゲームを買ったり。

 

たまに景色の良い
山や公園に連れて行きましたが
車に乗って遠くに行かないと
なかなか良いと思える場所は
ありませんでした。

 

こんなことでいいのか?と
思いながらも
なぜか立ち止まれない。

 

人間ひとりが生活するのに
どれだけのものが必要なのか?

 

それよりもっと
大切なことが
あるんじゃないのか?

 

増え続けていくことを
疑問に思いながらも

ただ情報を集めて
良いと思えることを
選んでいくようにする
ぐらいしかできなかった。

 

いつかは、
見直さないといけない
だろう。

それは、
いつかは分からないけど。

 

どうなるんだろう?
子どもたちの生きる未来は?

 

 

いまの私たちは 芋虫。

 

体重の何倍もの葉を
黙々と食べ続けている。

 

何でもかんでも口に入れ
試してみないとわからない。

 

ムシャムシャと
ものすごい勢いで

 

手当たり次第に

 

葉の本体の
木を枯らしそうな
勢いで
突き進んでいる。

 

環境破壊。

 

わかっていても
自らの役割を果たすしかない。

 

命を守るのはイモムシの仕事。

 

ある日、突然 ストップ。

 

あらかじめ
決まっていたかのように
静かになる。

 

死んでいるように
固まってしまった中で
奇跡が起こっている。

 

極限まで太らせた
その身体自体を溶かして

 

まったく別のものへと
変化を始める。

 

 

古いものと新しいものが
共存している間に

命を守るのは
イモムシの仕事だった。

 

だから、

 

イモムシを嫌っても解決にならない。

 

蝶が好きなら
イモムシを踏みつぶしたりしない。

 

 

まったく違うものへ
自分の中から変わろうとする。

 

自分で気づいて
変わることができる。

 

新しい循環が始まる。
多くのものの仕組みが変わる。

 

その奇跡が
起こることを
知っているから

 

いまは、
これでいいんだと

 

安心しています。

 

このままで、いいんだ。と。

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子供への想い②

子供への想い②

 

私は、

この人が 好きだったんだ。

 

 

「私の生んだ子」

「年齢差」

「性別」

「問題だと思っているところ」

 

これらを全部取り払ったら

 

「好きな人」だと

気がつきました。。

 

 

純粋な気持ちで見直すと

 

 

無理をしないで自然に生きている

 

優しく落ち着いた

理想の人

 

 

現代の生活には

そぐわないかもしれないけど、

 

お金のことや

食べること

いろいろなしがらみが

ない世なら

 

 

純粋に 「好きな人」

だなー

 

今日 はじめて 気がつきました。

 

 

私が「問題」だと思っていた

いろんなできないこと。

スムーズに動けないこと。

意思が伝わりにくいこと。

 

本人が 慌てている姿に

こちらが慌てて

 

それを不快に感じて

しまっていただけ。

 

 

この人が 生きている。

ただそれだけで 

幸せじゃないか!

 

 

もし、この人が

近所に住んでいる

他人

だったら、

 

「いい感じの人だな、」と

純粋に思える。

 

何ができようが

何ができなかろうが

関係ない。

 

見ててすっと

胸に入ってくる

あたたかい感覚。

 

もし、

遠く離れていたとしても、

 

たまに会えたら、

たまには話ができたら、

 

嬉しい。

 

 

ここまで純粋に感じることが

できました。

 

 

ただ純粋に好き。

 

という

 

存在が あることを

 

 

私の子供として生まれ、

私から巣立っていくものとして、

見せてくれている。

 

 

近所に住んでる他人

では

味わえない

 

強いつながり

 

 

あらかじめ

決めていたこと のような

 

この濃い関係。

 

 

「存在」 の 意味を

常に信号として

 

光続けて

見せてくれていた。

 

ただそこにある

美しい絵のように

静かなものとして。

 

あらためて

見とれてしまう

私がいました。

 

 

この人は

戸惑っていたんだ。

 

目の前の私から

愛情は感じるのに、

 

「なんで嫌なことさせるの?」

 

したくないのに、

しなきゃいけないって

どうして?

 

 

 

「親だから」

教育しなければ!と

強い考えで

見本になろうとし、

 

「これが できなきゃ!」

「ここに 行かなきゃ!」

「いま、

これを知っておかなきゃ!」

 

たくさんの項目を

押し付けてきた。

 

 

そんなことを

一日中

考えていた。

心配していた。

 

 

ほんとうは 一日中

 

「好きだな」と

 

感じたり、言葉にしたり、

 

楽しく仲良く

もっともっと

たくさんすれば良かった。

 

 

たまーに

 

「これ、どうかな。」と

提案するくらいで

 

どうするかは

本人に任せて

 

手放ししてれば

楽しかっただろうな。

 

彼が 慌てている姿は

 

実は 私の心の中が

慌てていたのを

 

表現してくれていただけ。

 

これで いいのか?

このままいっても 大丈夫か?

周りと あまりにも違いすぎる!

こんなんじゃ きっとダメ!

 

と、

私が 慌ててしまっていた。

 

愛すれば愛するほど

心配で 不安で。。

 

 

そういう「視点」が

できてくると

 

私の父も

好きだな〜

 

私の母も

好きだな〜

 

会えば小言から始まっても、

心配かけてるな と

申し訳なく思っても、

 

すぐに思い浮かんでしまう

細々した思いを

すべて取り払ったら、

 

いい人 だな。

好き だな。

 

純粋な愛情が

ふんわりと 身を包みます。

 

この人が 生きている。

ただそれだけで 

幸せじゃないか!

 

そういうことを

感じるための

家族 なんだ。

 

あまりにも身近すぎて

あまりにも当たり前で

あまりにも空気のように自然

 

でも、

確かに存在し続けている関係。

 

 

 

 

戦争はないけれど

心の中で

戦争をしなくてはいけない

今の世の中が

 

もっともっと

平和になったなら

 

 

彼はほんとうに個性を発揮して

 

楽しく自由に才能を

 

花開かせるでしょう。

 

 

そうなるように

今、私が平和な心でいよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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問題は解決しようとはしないこと(離婚編)

問題は解決しようとはしないこと(離婚編)

 

「離婚したい!」と裁判をしていた時は、

「離婚できない」という「問題」の解決をしようとしていました。

 

【問題は解決しようとはしないこと】

 

実は、

その問題の根っこは「恐れ」でした。

 

【その時点で感じていた「恐れ」は】

 

「このままでは、一生 自由に生きられない。

生活を管理され、コントロールされ、

私は自分の感情を抑え続けなければならない。」

 

「私が正しい。」

と強く思っていたので、

同じ強さで相手は攻撃してきました。

 

子供たちまで不安にさせ、悲しい思いをさせながら、闘いを長く続けました。

 

ようやく

「離婚」できて、「問題を解決」したはずなのに、落ち着きませんでした。

 

 

【根っこの「恐れ」を残したままだったから】

 

 

自分を管理して、コントロールして、不自由にさせていた。

感情を抑え続けて我慢していた。

 

ほんとうの原因は、私自身にあった

 

だから、

 

自由になれたのに、

「これからどうしたらいいのか?」と

不安が日増しに大きくなっていくことを

どうしようもないまま、

あれこれと試行錯誤を続け。

 

「いつかは、身体がついていけなくなりそうだな」という不安も重なっていきました。

 

 

【「恐れ」は私が 私自身に対して抱いていた感情】

 

あのままいけば、きっと、無理をし続けて、病気になっていた。

先行きの不安から逃れるために動き続けて

安心を求めるあてのない彷徨の末の挫折。

 

裁判の相手は

それを知らせてくれただけ。

 

私が闘っていたものは、

私が作り出した幻想でした。

 

目の前の「問題」だと考えていたものは

本当の「私の問題」に気づくためのサイン。赤信号 だった。

 

 

相手は、心から心配してくれていた。

 

私や子供たちのことを。

 

相手なりのやり方で、それを解決しようとしていた。

相手が「正しい」と信じた方法で。

 

でも、

それを、受け取る私には

攻撃されているとしか思えなかった。

 

私の批判ばかりして、

自分の非を認めようとしないから。

動けなくさせようと

押さえ込む方法ばかりを仕掛けてきたから。

 

私は持ち前の思いっきりの良さで、

それまでしたことのないことばかりに挑戦して、

 

「バカにしないでよ!」と

行動で示そうとしていた。

 

自分が正しい。

自分には権利がある。

自分には行動力がある。

自分には能力がある。

 

相手に助けてもらわなくても

ひとりで人生を生きていく力があるんだ!

 

相手が間違っていて、

自分は正しいんだ!と強調するために。

 

それは「復讐」でした。

私が囚われていたことへの。

 

家族のために頑張ってきた。

家族のために我慢してきた。

家族のために尽くしてきた。

のに、

それを全く評価してもらえない

 

挫折感。焦燥感。

 

そして「怒り」を

 

動きまわり、いろいろなことをすることで

 

「復讐」という形で表現しようとしていた。

 

 

【私が気づいていなかった「大切なこと」を知らせるために 起こってくれた「問題」でした。】

 

「私が囚われていた」のではなく「私が私を縛り付けていた」

 

 

何か手立てはないものかと、「それまで学んできたもの」を いろいろ試してもみましたが、

攻撃されていると思い込んでいたので、反撃することしか思いつきません。

 

「相手の立場に立って考えましょう。」

↑そりゃあ離婚となれば都合悪いでしょうね。そっちが悪いんですから。

そちらの思い通りになんか なるもんですか!

 

「同じステージに答えはありません。離れたところから見るようにしましょう。」

↑俯瞰してみても、どう考えても 批判され攻撃されてるとしか感じられない!

誰が見たって相手が悪いでしょう!  私は被害者なんだわ!

 

「そういうことを改めて考え直す『暦』である。」

↑人生の転機ならば、仕方がない。結婚に向かない誕生日らしいし。

これまで我慢してきたことを爆発させるチャンスなんだわ!

 

「子供のことを考えて。」

↑子供まで管理して押さえ込もうとするなんて許せない。

私の方が正しいんだから、子供は私が守るんだ!

 

押さえきれない腹立ちまぎれに 愚かな考えを必死に繰り返していました。

 

自分が正しくて、相手が間違っているんだ!

 

こんな単純なことなのに、どうしてさっさと終わらせられないのか わからない!

 

自分の正義と相手の正義の違いや

価値観の違いなどにまで、配慮できない狭い心の中で、

 

ただただ「恐怖」と戦っていたのでした。

 

自分が間違っているなどと微塵も認めたくはない。 という「恐怖感」。

 

たとえ「離婚裁判」という形の問題とならなかったとしても、

違う形で必ず何かが起こっていたでしょう。

私が「大切なこと」に気づくまで。

 

【私がそれまで おろそかにしていたこと…自分自身を見つめること】

 

誰の人生なの?

誰の感情なの?

誰の身体なの?

それで幸せなの?

それで楽しいの?

そのままでいいの?

 

いやだ!

 

と 強い感情が生まれて、爆発したのは

この「離婚」という問題のおかげでした。

 

違う形で起こっていても、離婚はしたかもしれません。

でも、関わった人間に、もっと思いやりをもって話を進められたかも。

もっと穏便に、冷静に、お互いが納得して終わらせることができたかも。

 

しかし、

私は「離婚裁判」という戦いとなりました。

 

示談も、調停も、不調に終わってしまったからです。

相手が応じてくれなかったから。

 

でも、それも、私が頑なに「自分が正しい」と貫き通そうとしたから。

 

相手が私の「鏡」になってくれて、示談にも調停にも応じなかった。

 

徹底的に闘って、心に大きな傷を作り、精根尽きるほど疲れました。

 

そこまでしないと私は気づけなかった。

それだけ頑固で直情型で型破りだから。

 

気づかないままでいたら、

「幻想」もそのまま。

何か起こるたびに「幻想」に立ち向かうだけ。

 

【問題は解決しようとはしないこと】

  • その時感じる「感情」に注意を向ける。
  • なぜ、恐怖を感じるのか?
  • なぜ、そう受け取ってしまうのか?
  • なぜ、怒りを感じるのか?
  • なぜ、悲しいと感じるのか?
  • なぜ、焦ってしまうのか?
  • なぜ、自分が正しいと強調しようとするのか?

そして

それは、自分が自分に向けて していることではないのか?

「なんで そんなこと するの?」と受け取ってしまう攻撃は

私が自分にしていること」を教えてくれていた。自分自身を攻撃している。

【それが「問題の奥にある ほんとうに大事なこと」でした。】

 

  • 私は、私には力がない と 思っていた。
  • 自分の人生の責任を100パーセント請け負う自信がなかった。
  • 私は、真剣に自分を幸せにしようと向かい合っていなかった。
  • 私は、自分の意見を主張することを わがままだと思っていた。
  • 私は、できない自分を批判するばかりで、愛せなかった。

自分にこんな酷いことをしていた

 

それを教えてくれる出来事が、

家族や親戚を心配させ、巻き込んだ「裁判」という形で現れ、

離婚することになったのです。

 

心の底で、

認めたくないと思っていた感情。

私にほんとうに必要だったものを獲得しようとする「戦い」

 

そう!

「戦っていたんだ! 自分の心の中で!」

 

RAS®に出会ったおかげで、やっと気づくことができました。

 

あのまま知らないで、また新しい戦いを始めていたかと思うと

 

本当に、RAS®に出会えてよかった!

 

こんな仕組みだったんだ!と ここでやっとわかった!

 

【問題を解決しようとはしない】

「問題」と思ってしまっている自分の中にこそ 本当の「問題」がある。

ここが理解できれば、どれだけ平穏な気持ちになれることでしょうか。

 

ドタバタと動き回ることをやめて、自分と向き合う。

 

自分の「感情」を 自分自身に問う

 

「愛しているよ。大切にするからね。教えてくださいね。」

 

「そうなんだ!」と気づける度に 頑なで硬かった感情が溶けていきます。

 

そして、

自分の「正義」と他人の「正義」は 全く違うことを理解できました。

 

たとえ長年連れ添っても、

たとえ自分の子供であっても、

 

ひとりひとりの持つ「正しい」という考えは、全く違う。

 

「好き」「嫌い」が違うように、

 

「正しい」「正しくない」も違う。

 

 

RAS®の深い「解放」で

 

私は「愛してもらえない」と子供の頃から信じ込んでいたことがわかりました。

 

弟が生まれた瞬間だったようでした。

 

だから、たとえ愛してもらっても、それを信じることができなかったのでした。

 

「解放」したので、

「愛してもらえる」が始まりました。

 

素直に、愛を受け取ることができるようになったのです。

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忘れられない日

忘れられない日

 

今日は、11月8日。

数字に弱い私が、

忘れられない日にちです。

 

20年前。娘が怪我をした日。

 

 

「なんでこんなことが

起こるんだろう?」

 

いろいろ考えました。

 

あのとき、

あそこに行かなければ?
私がきちんと見守っていなかった?
娘を何かで責めていた?
私がイライラしていた?
健康管理ができていなかった?

 

そして、

子育ての大きな「責任」を、

さらに重たく感じた出来事でした。

 

「罪悪感」

 

親は、

子供の思う通りに

させてやれないことを、

 

自分のせいだと

思うことが多いものです。

 

そして、

不意に起こった事故に対して、

 

「二度とこんなことが起きないように!」

と自分を戒め、

 

より、強く「責任」を

自分に課していく。

 

 

その体験で、生きていくために

必要なことも学びますが、

 

「責任」も「罪悪感」も、

強く感じすぎると

バランスが崩れます。

 

知らず知らずのうちに、

他のことにまで影響します。

 

それに気付かず過ごしていると、

今度は別の出来事で

「バランスがわるすぎる」

ことを知らせてくれます。

 

 

こんな仕組みだったなんて!

やっと、知ったわ。

 

 

「入院生活。面白かったね。」

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マイナスの感情につながるもの

マイナスの感情につながるもの

 

鮮やかな赤です。(^_^)

梅干し。

眺めていると、唾液が出てくる。

 

そう。

梅干しを見ると いつも

「パブロフの犬」を
思い出します。

 

チリン! という音だけで、

唾液が出てくる。

 

過去の体験の記憶があるから、

反応する。

 

梅干しだけじゃなくて、

私たちは、
いっぱい、そういうことしています。

 

頭を撫でてやろうと手を出したのに、
叩かれることを繰り返された犬が、

身を縮めて、こわがるようなこと。

 

 

「きっと、今度も、嫌な思いをするのだろう。」

 

「どうせ、丁寧に話しても、相手に通じることはないだろう。」

 

「おそらく、あんな高価なものは、一生手にすることはできないだろう。」

 

 

ものや、ひとや、場所などに

リンクを貼った状態にしています。

 

 

見えない。自分の頭の中だけに。

マイナスの感情に

つながるリンクを。

 

 

他の人は、そうではないかも。

だから、他人にはわかりません。

見えないから、

理解もしてもらえません。

 

だって、

自分さえも、

気づいていないこと、

たくさんありますから。

 

 

小さい子供を連れたお母さんが、

涙を流しているのを見たら、

「子育て、大変なんだろうな〜」と
勝手に思ってしまいますが、

自分が自分の子育てを大変だったと

思っていただけ。

 

そのお母さんは、

違う理由で泣いていて、

子育ては、

とっても楽しく幸せなのカモ。

 

子育て=大変 というリンク。

 

 

この梅干しは、

作ったひとからいただいたので、

甘いことなど絶対ない。^^;

減塩などもしていない、

辛くてすっぱ〜いのがわかっているから

唾液が半端なくでますが、、

 

 

リンクを貼ってしまったものに

気づいて外せたら、

新しい可能性に

ワクワクできるようになるカモ。

 

ですよね。

 

「なんで、そう 思ったんだろう?」

 

 

梅干しサイズのルビーは
想像したけど、、

必要ないかな。(^_^)

 

 

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子供への想い①

子供への想い①

 

一人めの子供は、

 

泣いたら すぐ だっこ。

 

その子に集中できるから、

直ぐに欲求を満たしてやれる。

 

授乳や病気など、

赤ちゃんの命を預かる緊張感で、

神経質になっていました。

 

四年後に二人め

その二年後に三人めを授かったので、

成長とともに、

徐々に手放していきましたが、

 

「想い」は誕生のころのまま。

 

「欲求を直ぐに満たしてやりたい。」

 

赤ちゃんじゃないのに、

親として してやれることは?と

自然に反応していまいます。

 

だっこは、しませんが、

 

気分はおんなじようなもの。

 

 

 

親になる。ということは、

 

自分のこと以外に

「しなくてはいけない」仕事を

引き受けるようなところがあります。

 

自分のことだけでも、結構、

「しなくてはいけない」を

持っているのに、

 

そこに、さらに、

増やしているわけです。

 

自分自身の成長とともに、

「しなくてはいけない」ものは

増えていて、

 

でも、

子供が生まれたら

その、「しなくてはいけない」

と思っていたことさえ、

できなくなってしまいます。

 

その上、

 

「したい」と思っていたことも、

できなくなってしまいます。

 

「我慢しなくてはいけない」

 

 

小さい頃は、

「我慢できない」と感じたら、

素直に言葉や態度で自己表現します。

 

うまく表現できないと、

泣いたり逃げたりという、

少し強い自己表現になっていきます。

 

でも、それが許されるのは、

環境によって、様々ですよね。

 

厳しい親や祖父母のもとでは、

「我慢する」ことが「良いこと」と

教えられることが多いものです。

 

親や祖父母も、

そういう環境で育ってきたから。

 

「我慢する」ことが幸せにつながる。

と、自分の体験から信じています。

 

「我慢しなくてはいけない」

 

 

自分に「しなくてはいけない」を

多く持っているひとは、

 

子育てにも

「しなくてはいけない」を

たくさん作り出すようです。

 

そして、

「欲求を直ぐに満たしてやりたい」と

思っている愛する我が子にさえも、

 

言葉が通じるようになると、

「しなくてはいけない」ということを

伝え始めます。

 

それが良いことだと信じているから。

 

我が子が

「泣く」ようなことにならないよう、

言葉で「だっこ」をしています。

 

そして、

 

やりたいことができなかった

自分自身の子供の頃を思い出し、

 

「好きなようにさせてやろう」と

思っていても、

それを許してやれない

親としての矛盾を抱えています。

 

それは、

「しなくてはいけないのか?」を

問い直すことでもあります。

 

自分のことも、子供のことも。

 

 

自分自身が持っている

「しなくてはいけない」という

考えに向き合うことになるのです。

 

 

我慢して、

したいことができなかった自分。

 

それが、幸せだったのか?

 

 

今、生活の周りにあるものは、

そういう考えで

自分が選んできたものです。

 

仕事、人間関係、服装、住居、

家電製品や雑貨類、

日々の食べるものや、読む本、

テレビ番組、映画、

起きる時間、食事の時間、

入浴のタイミング、などなど、、

 

すべてです。

 

私の思いのとおりの 

好きなものなのか?

 

それで私が幸福を感じているのか?

 

 

そして、我が子が見せてくれるいろいろなこと。

 

私が産んで育てても、

「命」は本人だけのもの。

 

「息子」や「娘」であっても、

「幸福」は本人が感じるもの。

 

 

そう考えて、

少し離れた目線から

見ることができるようになると、

 

 

もう、「だっこ」は必要ないよね。

 

と、思えるものが、結構あるようです。

 

 

「しなくてはいけないのか?」は、

本人が決めること。

 

 

できるだけ子供が小さいうちに、

こんなことに気づけるといいですよね。

 

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