「いつも答えはシンプル」

「いつも答えはシンプル」

「山陰経済ウイークリー」6月26日号掲載コラム

 

 

 

「いつも答えはシンプル」

 

問題が発生すると不快を感じます。

その不快な感情が強ければ強いほど

「どうにかしなくては!」

と考えます。

冷静に対応するために

感情を抑えようとしていませんか?

 

不快な感情を抑えることこそが

冷静な判断を妨げてしまいます。

 

現場にいるそれぞれが

違った表情を見せますが

心の中で感じている強さは

表面では判断できません。

 

冷静を装い

その時は上手く対応できても、

また問題となる別の出来事が起こった時に

冷静な判断ができなくなる場合。

強いストレスを感じる原因は

『抑えてきた感情の強さ』

に比例しています。

 

「しっかりしなくては!」

強く自身を戒めている

真面目な人ほど

ストレスは増大していく仕組みです。

 

抑え続けて感じないようにしていると、

もはや

自分がどう感じているのかも

分からなくなってしまいます。

 

「感情を解放する」ことで

ストレスはなくなりますが、

その「感情」に

気づけない状態の身体に

直接アクセスしていく方法が

RAS®︎のセッションです。

 

 

冷静に対応する

真面目で誠実な人ほど要注意!

 

意外なほどシンプルな仕組みが

実は知られていないのです。

 

 

 

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「社員教育の効果」

「社員教育の効果」

 

コラム原稿③

「社員教育の効果」

 

新入社員の研修から始まる社員教育は

パフォーマンスの向上に

欠かせないものではありますが

会議や講演会の場で高まったはずの士気が

いざ現場になると

これまでの繰り返しに戻ってしまう

ケースが多いと感じているのは

指導者的立場だけでなく

本人も自覚しています。

意識を変える必要性を

頭では理解できているのに

行動に移す段階で抵抗がある感覚。

 

「それまでの経験という記憶」が

ブレーキをかけている状態です。

 

過去の記憶は千差万別。

数字に対するストレス。

人に対するストレス等々。

過去に受けた強い不快感から

抵抗を感じて

新しい一歩を踏み出すことを

邪魔しています。

そこに焦点を当てて対応することで

ブレーキを外すことができます。

 

RAS®︎は対面式の個別セッションです。

本人が自分自身の力で本来の個性に戻り

力を発揮するまでを共に向き合う

ワークです。

 

社員教育の効果を高めるとともに

業務全体のパフォーマンス向上に

ご活用いただけます。

 

 

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「効率が低下する原因

「効率が低下する原因

体調が悪くなってくるとそれまで簡単にできていたことができなくなってきます。

心の中でも同じようなことが起こります。

ストレスが強くなるとそれまで気にならなかったことが
気になる。

できていたことができなくなって苦痛に感じる。

身体がスムーズに動かなくなるのと同じように

思考を邪魔するもののせいで効率が低下します。

営業成績が落ちたり作業速度が落ちて
それまでしなかったようなミスにもつながります。

 

ストレスの原因が

職場だけでなくプライベートな部分にあることで

対応が難しいと感じておられる経営者は多いようです。

 

そこまで立ち入ることができない。

しかしそこを解決しなければ改善を見込めない。

 

RAS®︎は対面式の個別セッションです。

複雑にからみあうストレスの原因を特定していくためです。

そして本人が自分自身の力で本来の個性に戻り

力を発揮することができるまでを共に向き合う学術的なワークです。

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この野郎!

この野郎!

 

 

この野郎!

こんなことでいいと思っているのか!

この野郎!

こんなことやっちまいやがって!

この野郎!

こんな簡単こともできないのか!

この野郎!

こんな当たり前のことも知らないのか!

この野郎!

こんな大切なことを忘れてしまったのか!

この野郎!

こんな単純なことも考えられないのか!

この野郎!

いつまでグズグズしてるんだ!

この野郎!

こんな大事な時に何やってんだ!

この野郎!

つまりはお前になんかに

才能なんてありはしないんだ!

この野郎!

自分が特別だなんて

思ってるんしゃないのか?

この野郎!

もっとしっかりしないと

ダメじゃないか!

この野郎!

偉そうなこと言っても、

自分はどうなんだ!

 

この野郎!何に苦しんでるんだ?

この野郎!幸せじゃないのか?

この野郎!なんで動けないんだ?

 

 

この野郎!

これでいいんじゃないか?

この野郎!

こんなことできなくて

いいんじゃないか?

この野郎!

こんなこと知らなくても

いいんじゃないか?

この野郎!

こんな大切なことでも

お前が要らないなら

忘れていいんじゃないか?

この野郎!

こんなこと考えられなくて

いいんじゃないか?

この野郎!

ゆっくりしてれば

いいんじゃないか?

この野郎!

こんな大事な時だから

楽しんでいいよな!

この野郎!

やりたいことが

才能なんだよな!

この野郎!

自分は特別大事なんだぞ!

いなくなったら困るからな!

この野郎!

出来ないことやしたく

ないことは

しなくていいんだぞ!

この野郎!

自分が感じたら、

言ったらいいんだぞ!

 

 

この野郎!

 

そのまんまで いいんじゃないのか?

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RASを始めたきっかけ

RASを始めたきっかけ

 

 

RASを始めたきっかけは、

 

教えていただいたことが

「とても面白い」

と、感じたからでした。

 

 

子育て中から始まった

ひどい腰痛が

長年の悩みでした。

 

 

RASは治療とは違います。

 

 

でも、私が感じていた

腰痛の「問題」。

 

 

そのストレスのせいで

 

自由に動くことを

自分で制限していたことを、

なんとかしたいと

思っていたところでした。

 

 

PTAの役員や

何かの仕事を引き受けたり

旅行に行くことなども、

 

途中で具合が悪くなり

責任を果たせなかったり、

迷惑をかけてはいけないと

億劫になってしまっていました。

 

 

腕の良い整体師さんを

紹介してもらって 通ったり、

良い治療法があると聞けば

いろいろ試してもみました。

 

 

とにかく動かすことが

良いことと思って

 

運動も、

いろいろやってみました。

 

 

無理して動いたあとには

ギックリ腰を

何度も経験しました。

 

 

 

腰痛という

「外側」にある問題は

 

私が心で感じていた

「内側」の問題を

知らせてくれている。

 

教えていただきました。

 

「感情」??

 

 

ワクワクしたり 嬉しいと

身体がポカポカしてきたり、

足取りも軽くなってきて、

 

感情は

身体に大きな影響を

及ぼしているとは

感じていましたが、、

 

 

辛いことがあると

不安になって 体温がさがり

手先が冷えたりすることも、

感じていたので、

 

なるべくマイナスの感情は

感じないように

注意していました。

 

 

どんなことでも

「受け取り方だ」と思って

 

頼まれたら

嫌なことでも我慢して

断らないことが

良いことだと信じていました。

 

 

メンタルトレーニング

を受けると

プラスの感情の言葉で

身体に力が入るので

重たいものも重たくない!

嬉しいこともありましたが、

 

マイナスの感情に

向き合うことなどは

習ったことが

ありませんでした。

 

 

むしろ、避けたい。

 

 

そんな感情を持ってしまうこと

自体が不快。

 

そんな感情を持ってしまう

自分が嫌い。

 

 

なんでも「嫌!」 と感じずに、

 

なんでも「大丈夫ですよ~」

(^_^)

 

と、心の広い

ひとでありたい。

 

 

だから、

いったい どんな「感情」を

私は感じていたのか?

自分の感情なのに

なんで分からないのか?

 

とても不思議に思いました。

 

 

マイナスの感情を

押さえている。

 

ことが、

 

実は「大問題」でした。

 

 

「押さえている」ということは

 

感じていたのに

感じたかったのに

 

「ダメ!」と断られるようなもの。

 

 

赤ん坊が

オギャーと泣こうとしている

口を

塞いでしまって

いるようなもの。

 

 

なぜ泣くのか?の

原因を解決できなければ

泣き続ける。

 

 

 

ハッキリと言葉にできたら

わかりやすいのに。。

 

感情も

そんなところが

ありますよね。

 

 

でも、

純粋だった

赤ん坊の感情表現が、

 

成長するにつれて

複雑になり、

 

言葉にできるようになっても、

 

親の顔色を伺ったり、

友だちの驚く様子で

反省したり、

 

次第に知恵を働かせ、

 

純粋に感情を表現できなく

なってきたのも

仕方のないことでした。

 

 

 

そして、

セッションを受けて

はじめて

 

私が押さえてしまっていた

感情が何かを

 

知ることができました。

 

 

その言葉は

私からストレスを

「解放」するために

覚えておかない方が良いと

言われました。

 

 

人によって違うものです。

 

 

ギックリ腰の痛みを抱えながら

その日のセッションを

受け始めましたが、

 

終わる頃には

身体が納得したのか

ずいぶんと楽になっていました。

 

 

どういうふうに

変化が起こるのかは

人によって様々なので

「こうなります」とは

言えませんが、

 

 

私は

「感情か。面白いな。」

意外な観点に興味を持ちました。

 

 

 

押さえていたら

自分の感情なのに

わからなくなってしまう。

 

どんな感情だったのか?を。

 

 

そして

同じように「嫌だ」と

感じる出来事で

より強く感じるようになる。

 

 

でも「嫌だ」は

マイナスの感情だから

それまでどおり

押さえてしまう。

 

 

この繰り返しを

重ねていって、

どうにも押さえきれない

ところまで

行ってしまった結果が

 

 

腰痛

そして

ギックリ腰

 

 

身体が動けなくなって

頼まれごとなど

引き受けるどころか

 

こっちから

人さまに

頼まなければ

いけなくなってしまう。

 

 

赤ん坊に

戻ったみたいに。

 

「やって~~!」

 

 

 

「なんでも 大丈夫。」で

いたいのに。

 

「なんにも できない。」

 

 

 

「あー

無理しちゃいけないな。」

程度なら

それまでも反省してましたが、

 

 

なんと原因が

「感情」だった

だなんて、

 

教えていただくまで

気がつきませんでした。

 

 

 

「面白いな!」と

ワクワクしながら

 

始めることに

なったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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問題は解決しようとはしないこと(離婚編)

問題は解決しようとはしないこと(離婚編)

 

「離婚したい!」と裁判をしていた時は、

「離婚できない」という「問題」の解決をしようとしていました。

 

【問題は解決しようとはしないこと】

 

実は、

その問題の根っこは「恐れ」でした。

 

【その時点で感じていた「恐れ」は】

 

「このままでは、一生 自由に生きられない。

生活を管理され、コントロールされ、

私は自分の感情を抑え続けなければならない。」

 

「私が正しい。」

と強く思っていたので、

同じ強さで相手は攻撃してきました。

 

子供たちまで不安にさせ、悲しい思いをさせながら、闘いを長く続けました。

 

ようやく

「離婚」できて、「問題を解決」したはずなのに、落ち着きませんでした。

 

 

【根っこの「恐れ」を残したままだったから】

 

 

自分を管理して、コントロールして、不自由にさせていた。

感情を抑え続けて我慢していた。

 

ほんとうの原因は、私自身にあった

 

だから、

 

自由になれたのに、

「これからどうしたらいいのか?」と

不安が日増しに大きくなっていくことを

どうしようもないまま、

あれこれと試行錯誤を続け。

 

「いつかは、身体がついていけなくなりそうだな」という不安も重なっていきました。

 

 

【「恐れ」は私が 私自身に対して抱いていた感情】

 

あのままいけば、きっと、無理をし続けて、病気になっていた。

先行きの不安から逃れるために動き続けて

安心を求めるあてのない彷徨の末の挫折。

 

裁判の相手は

それを知らせてくれただけ。

 

私が闘っていたものは、

私が作り出した幻想でした。

 

目の前の「問題」だと考えていたものは

本当の「私の問題」に気づくためのサイン。赤信号 だった。

 

 

相手は、心から心配してくれていた。

 

私や子供たちのことを。

 

相手なりのやり方で、それを解決しようとしていた。

相手が「正しい」と信じた方法で。

 

でも、

それを、受け取る私には

攻撃されているとしか思えなかった。

 

私の批判ばかりして、

自分の非を認めようとしないから。

動けなくさせようと

押さえ込む方法ばかりを仕掛けてきたから。

 

私は持ち前の思いっきりの良さで、

それまでしたことのないことばかりに挑戦して、

 

「バカにしないでよ!」と

行動で示そうとしていた。

 

自分が正しい。

自分には権利がある。

自分には行動力がある。

自分には能力がある。

 

相手に助けてもらわなくても

ひとりで人生を生きていく力があるんだ!

 

相手が間違っていて、

自分は正しいんだ!と強調するために。

 

それは「復讐」でした。

私が囚われていたことへの。

 

家族のために頑張ってきた。

家族のために我慢してきた。

家族のために尽くしてきた。

のに、

それを全く評価してもらえない

 

挫折感。焦燥感。

 

そして「怒り」を

 

動きまわり、いろいろなことをすることで

 

「復讐」という形で表現しようとしていた。

 

 

【私が気づいていなかった「大切なこと」を知らせるために 起こってくれた「問題」でした。】

 

「私が囚われていた」のではなく「私が私を縛り付けていた」

 

 

何か手立てはないものかと、「それまで学んできたもの」を いろいろ試してもみましたが、

攻撃されていると思い込んでいたので、反撃することしか思いつきません。

 

「相手の立場に立って考えましょう。」

↑そりゃあ離婚となれば都合悪いでしょうね。そっちが悪いんですから。

そちらの思い通りになんか なるもんですか!

 

「同じステージに答えはありません。離れたところから見るようにしましょう。」

↑俯瞰してみても、どう考えても 批判され攻撃されてるとしか感じられない!

誰が見たって相手が悪いでしょう!  私は被害者なんだわ!

 

「そういうことを改めて考え直す『暦』である。」

↑人生の転機ならば、仕方がない。結婚に向かない誕生日らしいし。

これまで我慢してきたことを爆発させるチャンスなんだわ!

 

「子供のことを考えて。」

↑子供まで管理して押さえ込もうとするなんて許せない。

私の方が正しいんだから、子供は私が守るんだ!

 

押さえきれない腹立ちまぎれに 愚かな考えを必死に繰り返していました。

 

自分が正しくて、相手が間違っているんだ!

 

こんな単純なことなのに、どうしてさっさと終わらせられないのか わからない!

 

自分の正義と相手の正義の違いや

価値観の違いなどにまで、配慮できない狭い心の中で、

 

ただただ「恐怖」と戦っていたのでした。

 

自分が間違っているなどと微塵も認めたくはない。 という「恐怖感」。

 

たとえ「離婚裁判」という形の問題とならなかったとしても、

違う形で必ず何かが起こっていたでしょう。

私が「大切なこと」に気づくまで。

 

【私がそれまで おろそかにしていたこと…自分自身を見つめること】

 

誰の人生なの?

誰の感情なの?

誰の身体なの?

それで幸せなの?

それで楽しいの?

そのままでいいの?

 

いやだ!

 

と 強い感情が生まれて、爆発したのは

この「離婚」という問題のおかげでした。

 

違う形で起こっていても、離婚はしたかもしれません。

でも、関わった人間に、もっと思いやりをもって話を進められたかも。

もっと穏便に、冷静に、お互いが納得して終わらせることができたかも。

 

しかし、

私は「離婚裁判」という戦いとなりました。

 

示談も、調停も、不調に終わってしまったからです。

相手が応じてくれなかったから。

 

でも、それも、私が頑なに「自分が正しい」と貫き通そうとしたから。

 

相手が私の「鏡」になってくれて、示談にも調停にも応じなかった。

 

徹底的に闘って、心に大きな傷を作り、精根尽きるほど疲れました。

 

そこまでしないと私は気づけなかった。

それだけ頑固で直情型で型破りだから。

 

気づかないままでいたら、

「幻想」もそのまま。

何か起こるたびに「幻想」に立ち向かうだけ。

 

【問題は解決しようとはしないこと】

  • その時感じる「感情」に注意を向ける。
  • なぜ、恐怖を感じるのか?
  • なぜ、そう受け取ってしまうのか?
  • なぜ、怒りを感じるのか?
  • なぜ、悲しいと感じるのか?
  • なぜ、焦ってしまうのか?
  • なぜ、自分が正しいと強調しようとするのか?

そして

それは、自分が自分に向けて していることではないのか?

「なんで そんなこと するの?」と受け取ってしまう攻撃は

私が自分にしていること」を教えてくれていた。自分自身を攻撃している。

【それが「問題の奥にある ほんとうに大事なこと」でした。】

 

  • 私は、私には力がない と 思っていた。
  • 自分の人生の責任を100パーセント請け負う自信がなかった。
  • 私は、真剣に自分を幸せにしようと向かい合っていなかった。
  • 私は、自分の意見を主張することを わがままだと思っていた。
  • 私は、できない自分を批判するばかりで、愛せなかった。

自分にこんな酷いことをしていた

 

それを教えてくれる出来事が、

家族や親戚を心配させ、巻き込んだ「裁判」という形で現れ、

離婚することになったのです。

 

心の底で、

認めたくないと思っていた感情。

私にほんとうに必要だったものを獲得しようとする「戦い」

 

そう!

「戦っていたんだ! 自分の心の中で!」

 

RAS®に出会ったおかげで、やっと気づくことができました。

 

あのまま知らないで、また新しい戦いを始めていたかと思うと

 

本当に、RAS®に出会えてよかった!

 

こんな仕組みだったんだ!と ここでやっとわかった!

 

【問題を解決しようとはしない】

「問題」と思ってしまっている自分の中にこそ 本当の「問題」がある。

ここが理解できれば、どれだけ平穏な気持ちになれることでしょうか。

 

ドタバタと動き回ることをやめて、自分と向き合う。

 

自分の「感情」を 自分自身に問う

 

「愛しているよ。大切にするからね。教えてくださいね。」

 

「そうなんだ!」と気づける度に 頑なで硬かった感情が溶けていきます。

 

そして、

自分の「正義」と他人の「正義」は 全く違うことを理解できました。

 

たとえ長年連れ添っても、

たとえ自分の子供であっても、

 

ひとりひとりの持つ「正しい」という考えは、全く違う。

 

「好き」「嫌い」が違うように、

 

「正しい」「正しくない」も違う。

 

 

RAS®の深い「解放」で

 

私は「愛してもらえない」と子供の頃から信じ込んでいたことがわかりました。

 

弟が生まれた瞬間だったようでした。

 

だから、たとえ愛してもらっても、それを信じることができなかったのでした。

 

「解放」したので、

「愛してもらえる」が始まりました。

 

素直に、愛を受け取ることができるようになったのです。

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’健康のために’嫌いなものを我慢して食べる?

’健康のために’嫌いなものを我慢して食べる?

 

「生たまねぎ」嫌いです。f^_^;

加熱すると食べれるので、スライサーは有難い道具です。

以前は「健康のために」という意識が強くて、

自分が玉ねぎ嫌いだと気づかなかった。

 

相当な鈍感。f^_^;

 

「我慢している。」ということが「あたりまえ」。

だって「身体に良いものだから。」

 

身体のために我慢する。

 

「我慢する」から調子が悪くなってたんだ!


気づいてから、

 

生玉ねぎが食べられなくなりました。

 

それにしても、

なんで、玉ねぎが嫌いなんだろう?

何か原因がありそうです。

 

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人を好きになるということ

人を好きになるということ

 

人を好きになると、

 

「結局は、自分と向き合うことになるんだなー」

 

と、思います。

 

 

好きだと言って欲しいから、

自分の価値を認めて欲しくて、奮闘します。

 

そう、「価値」

 

「見た目」の価値だったら、

 

綺麗だと言って欲しい。

肌がすべすべ。

指の形がいい。

髪型が素敵。

若々しい。

つやつやしている。

ほどほどの体型で、

太りすぎじゃないけど、

柔らかくて、女らしい。

 

ここが好き って言ってもらえるように、どこもかしこも気になります。

 

 

「内面」の価値だったら、

 

優しい。明るい。癒してくれる。

常識がある。話してて楽しい。

しっかりしている。

などなど。。

 

他の女性と比べては、ダメだダメだと思いながらも、なんとか良く見せようとする。

 

そして、その項目はキリがなくなる。

 

どんだけポイント高くしたいの?

 

 

自分で思っているほど、人は気にしていないものです。

 

 

化粧品売り場で、とっても気になっているシミをカバーして欲しいのに、

 

「え?そんなに目立ちませんよー」と言われて、初めて気がつくようなもの。

 

自分だって、その人を好きになった理由は、そんな細かいところじゃなかったりする。

 

見た目、と言っても、目の輝きだったり、身体全体の動きだったり、

 

内面、と言っても、なんでも理解してもらおうとは思っていないから、

意見の違いも気にしない。

 

ただ、一緒にいたいだけ。

理由なんて、探したらあるけど、

 

どうでもいいから、一緒にいたい!

 

 

だから、「条件」をつけているのは、自分だけ。

自分ができないことを罰しているのは自分だけ。

 

 

それより大事なことがある。

 

「自分が自分をどう思っているのか?」

 

「価値」が必要だと思ってしまうのは、

「価値」が足りないと思っているから。

 

その自信の無さが言動に表れる方が、

本来持っているはずの生き生きとした輝きを表現できない。

 

よっぽど強いダメージな気がします。

 

自分で自分が好きになれないと、たとえ、親密になれたとしても、

いつも気にしてしまいます。

 

 

親密になれた大きな喜びと同時に、

 

同じだけ大きな不安を抱え込むことになるのです。

 

「この幸せを失うかも」という不安。

 

「価値」が足りない自分より、

「価値がある」ひとに奪われるかも。

 

そして、どんどん「自分ではない」ものになろうとします

 

良く思われたいから、

 

相手にあわせて、自分の気持ちを押さえてしまう。

 

髪が長い娘が好きなのか~。

細身の女性がタイプなのか~。

お料理上手い人がいいのか~。

おとなしい恥ずかしがり屋さんがいいのか~。

 

ん?

私とぜんぜん違う。

 

でも、彼が好きなら、そうならなきゃ!

 

好きだった髪型を変えて、

なんとか痩せようとダイエット、

包丁を持ってオロオロ、

言いたいことも我慢する。

 

でも、それは不自然だから、どこかに無理が生じてくる。

ほんとうの自分じゃないから、いつも緊張してるみたい。

 

我慢していることが、苦痛になってくる。

 

どうでもいいから好き!なはずが、

 

自分が我慢をしてる分、相手に見返りを期待して当然。

と、思い始めたり、

 

どうしてわかってくれないの?

と、怒ったり、悲しくなったり。。

 

この堂々めぐりの ひとり劇場を

終わらせるには、

 

「価値」という考えの枠を無くすこと。

 

見た目の「価値」、内面の「価値」という

ハードルを作ったのは自分なんだ と思い出す。

 

自分ができないことを許すこと。

無理して できなくてもいいんだ。と。

 

そして、ひとと比べないこと。

 

比べることは意味がない。

 

美人?スマート?賢い?器用?

 

取り繕うことに懸命になると

ほんとうの自分の美しさを見失ってしまいます。

 

わたしはこのままで美しい。

無理してできなくてもいい。

 

自分らしくいられると、心が穏やかになってきます。

 

自分が自分を認めて、素の状態を出せること。

それが ほんとうの自分。

偽りのない自分。

 

自分を犠牲にすることはありません。

 

自分の意見は伝える。

 

でも、

それをどう受け取るのかは

相手の問題。相手の自由

 

好きなひとに「好き」「大切なんです。」

と伝う前に、

 

自分に「好き」「大切なんです。」と

言えたら、

 

飾らない、純粋な気持ちでいられます。

 

 

伝えたことを

相手がどう受け取るかは

様々でしょうが、

 

その前に、

自分に素直に伝えられた。

ということこそが、

大切なのです。

 

 

ひとを好きになるという感情を

自分を好きになることで、

純粋に育てることができます。

 

 

もう一歩、先に進めると、

 

「自分を許す」ことの先に

「相手も許す」ことができるようになります。

 

相手がよそ見していても、

他の人に興味を持っているようでも、

会いたいのに会えない時も、

意見が違っても、

思うように応じてもらえなくても、

 

相手の意思を大切にできる。

 

そうしたいんなら、どうぞ。

 

でも、わたしはあなたが好き。

 

 

相手が喜んで、楽しんでいることを心から自分も喜べる。

 

相手は相手の自然のままで、居心地良くいてくれることを幸せに感じます。

 

 

ちょっと難しいことですが、少しずつでも意識してみてください。

そうなれると、嫉妬したり、疑ったり、心配することが少なくなっていきます。

 

自分が無理をしないでいられて、

相手にも無理を強いることがない、

 

平和な関係。が理想です。

 

どうでもいいから好き!でいられます。

 

 

え?無理?

わかりますよ。

 

好きだから束縛したい。

何を考えているのか知りたい。

好きでいてくれるのか確かめたい。

 

ですよね。

 

 

どんなに親密になれても、そんな思いはキリがありません。

 

束縛したいという思いは、

自分の中にある「安心したい」という気持ちがあるから。

 

「安心したい」は「安心できない」という「恐怖」の気持ちがあるから。

 

 

それなら、あなた自身は、自分の気持ちが絶対揺らがない!

ことが約束できるでしょうか?

 

「気持ち」は、常に動いています。

 

ささいなことで、喜んだり、驚いたり、悲しんだり、怒ったり。

 

なんと動きの激しいこと。

 

感情が動くのは当たり前。

 

動き続けているのに、安定しないのが生きている心なのに、

「安心」なんて、無いのに等しい。

 

だから、それより、もっと先に進みましょう。

 

喜んだり、驚いたり、悲しんだり、怒ったりするのは当然。

 

だけど、大丈夫。

 

感じることはとても大切。

 

そして、

感じたなーと、納得したら、

それで終わり。

 

感じるのは、自分だけ。

 

ひどいわ!と怒ったら、

じーっとその感情を感じる。

寂しいなーと感じたら

じーっとその感情を感じる。

 

で、しばらくしたら、

 

さ!次!

と、切り替える。

 

普段の気持ちにリセットします。

 

どうでもいいから 好き!に。

 

そうすると、

また、同じことが起こっても、

感じ方が変わってきます。

 

そのうち、慣れてきます。

怒る強さ、寂しい感覚が小さくなってきます。

 

諦めるのとは違います。

 

きちんと「感じた」なら

それは、諦めたのではなく、

感じ終わったから。

 

我慢はしてはいません。

 

偽りの笑顔ではないのです。

ほんとうに喜んで見ていられる。

 

そして、堂々めぐりも終わらせられます。

 

次の段階へ進んでいるのです。

ステージが変わるように。

 

「ひどいわ!」と思った自分が変わります。

 

「寂しいな」と感じた自分が変わります。

 

だから、

相手への感情が変わります。

 

こうして

「相手を許す」

 

つまり、

 

強がりでもなんでもなく、

そんなことは、どうでも良くなる。

心に真の余裕ができます。

 

 

感情が大きく動く

 

「ひとを好きになること」は

 

ほんとうに生き生きとした変化が生まれます。

 

 

やっかいな、不安定感も味わいますが、

 

それも、どんどん味わいつくし、

 

ワクワク楽しめることも多いものです。

 

 

そして、

人生で大切なこと。

 

自分が自分自身をどう思っているのかを

見つめ直すチャンスです。

 

たとえ相手が替わろうと

 

自分を見つめていく道は

生きている限り続くもの。

そして、成長していくもの。

 

 

幸せは

自分の中に見つけられる。

 

こだわりのない穏やかな心。

 

 

素のままの自分で、幸せを感じて、

相手も

素のままの相手で、幸せを感じて、

 

それを、お互いが、ともに分かち合えるような

 

関係がいいですよね。

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言いにくいこと

「そろそろ

帰って欲しいんだけどなー」

と思いながら、言い出せない。

 

何が大事か

比べてしまっているようで、

申し訳ない気持ちが強くある。

 

思いきって、

正直に、

「そろそろ時間なの。」と言うと、

「あ!そうなんだ。

じゃ、帰るね。またね~~。」と、

意外と相手は気を悪くしたふうもなく、

あっけない反応をするものです。

 

「あんなに悩んでいたのに、

言ってみるもんだな。」

ということ、ありますよね。

 

すべてに

オープンでいられたら、

どんなに楽でしょう。

 

なんにも気にせずに、

その時、その瞬間に感じたことを

素直に言えたら

 

こんなとき、

相手が、どう感じるか?を

気にしています。

 

「えー! もっとしゃべろうよー!

楽しいのになんでー?」

と聞かれてしまったら、

 

「疲れたから。」

「やりたいことがあるの。」

「ボーイフレンドに電話したいの。」

「これ以上あなたといるより、

もっと大事なことがあるから。」

という理由があることを説明して、

 

それと

相手を比べていることを

知られるのが「怖い」

思っているようです。

 

どうして、

自分の感情を大事にするより、

人の反応を

気にしてしまうのでしょう?

 

それを「怖い」と

思っているのでしょう?

 

私も、

それは強く持っています。

 

なるべく相手に「いい気分」で

いてもらいたいから、

自分の感情を押さえてしまう。

 

相手が不快になってしまうことを

怖れています

 

自分が大事にしたいことや、

自分が「いい気分」で

いることよりも、

 

相手のことを強く気にしている。

 

 

自分のあたまで判断して、

「こんなこと言ったら、

嫌な気分になるだろうな。

だから言いにくいな。」と

勝手に想像しています。

 

でも、

自分に置き換えてみると、

 

相手が正直に言ってくれたら、

「そうなんだ」と

悪い気にもならずに

いられることの方が多いと思います。

 

むしろ、

「え?なんで?」と

怒ってしまいそうになる時、

 

どうして自分はそう思うのだろう?

と自分に問い直します。

 

「私といると疲れるの?」

「お菓子まで持ってきてあげたのに、

私と話すことより

やりたい事があるってどういうこと?」

 

「話したいことがあるって言ったの、

そっちじゃない!

時間をやりくりして、

わざわざここまで来たのに!」

 

自分の中に持っている

「感情」が出てきます。

 

ここに反応するから、

不快な怒りを感じるんだと気づきます。

 

「私といると疲れるの?」は、

自分もそういう経験があるから。

 

疲れていることを正直に

相手に伝えずに我慢していたから、

あとでグッタリ、

とても疲れてしまった。

 

という似たような過去の体験。

 

 

こんなことが原因で、

「え?なんで?」と、

ムッとした怒りの感情が出たことに

気づきます。

 

だから相手も同じで、

怒ってしまうのだと勝手に考えて

それを恐れているのです。

 

それどころか、

「少々疲れていても、我慢しなさいよ。」

とまで思っている

自分に気づいて驚くこともあります。

 

「私も我慢したんだから、

あなたができないことは無いでしょう。」

さすがに、そこまで

口に出しては言いませんが、

心の中で平然と、

当然のように思っている自分に

ビックリします。

 

我慢することを無意識に、

人にも押し付けているのです。

 

 

面白いですよね。

だって、こんな体験がなければ、

「あ!そうなんだ。」と

軽く受けとめて、

不快な感情を感じないで

いられたのです。

 

「疲れてるのね。

ゆっくり休んで

元気になって欲しいな。」

という

優しい気持ちを

相手に伝えられるほど、

 

豊かな感情にもなれます。

 

 

我慢することを

押し付けるなんてこと、

絶対思わないですよね。

 

優しい言葉のやりとりで、

私たちは満たされた幸福感を

感じることができるのに、

 

「言いにくいこと」を

持ち続けているということは、

自分の世界を狭くしている。

 

余裕のない心の、

傲慢な自分に気づいて、

自分が嫌になるほどに。

 

こうして

「自分に向き合う」ということが、

とっても大切なことだとわかります。

 

選択肢が狭い

ということは、

自分が

自分の感情を押さえているのが

原因。

 

考えが浅いわけでも、

神経質なわけでも、

我慢できない未熟者なわけでも

ないのです。

 

だから、

傲慢で嫌な自分ではない。

 

「感情」を「どう感じたか」の違いだけ。

 

押さえてしまった「感情」に気づくだけ。

 

実は、

これがわかってしまえば

簡単なことなのです。

 

過去の経験には、

思わぬ落とし穴があるのです。

 

自分が感じた

不快な感情を押さえてしまうと、

 

それをずーっと持ったまま、

「今」を生きているのです。

 

そして、

「言いにくいこと」を

言えずに繰り返していると、

 

「疲れた~」という不快感は、

さらに強く記憶に残るので、

 

さらに強く

「言いにくい」ことになっていきます。

 

押さえてしまった不快な感情が、

いったい何だったのかに

気付かない限り、

 

日々の生活の中で、

「言いにくいこと」

を増やしていくのです。

 

どんどん自分を不自由にしていく。

 

「なんにも気にせずに、

感じたことを素直に言える。」

ことなんて、

到底できない

「今」の自分のままで、

 

これからも

生きていかなきゃいけないなんて、

チョット悲しくなってしまいませんか。

 

で、

「疲れたのよ!」

大声で言いたくなる

状況にまで追い込まれて、

はじめて正直に言える。

 

そこまで追い込んだのは

自分なのに、

 

その時の相手に、

強い不快感を与えてしまうほどの

感情を、

強くぶつけることしかできなくなる。

 

我慢できない!

 

それだけは、

避けたかったから、

ここまで押さえてきたのにね~~

 

一番怖れていたことを、

やってしまわないと

気が済まないほど

追い込んでしまう。

 

そして、

爆発してしまった自分に

 

自分でビックリして、

 

「あー!悪いことした~~!

ごめんなさい!」と

 

そんな自分が嫌になってしまう。

 

それが一番怖いことだったのに。

 

 

そのままで済ませて、

忘れてしまおうとすると、

 

自分をそこまで追い込んだ、

不自由な状態の原因に

気づかないままになってしいます。

 

爆発したのはどうしてだろう?

という理由を

自分の中に探しに行く

貴重なタイミングです。

 

自分を嫌にならないで。

 

爆発することは、

悪いことではなくて、

むしろ、良いことなんです。

 

爆発するのが

早ければ早いほど、

周囲の人への被害も

軽傷で済みますしね。

 

ホントに、

すべてにオープンでいられたら、

どんなに楽でしょう。

 

生きているのですから、

 

強い感情を持つことも

当然ありますよ。

 

なんにも気にせずに、

感じたことを素直に言えたら、

 

爆発するのも、

とっても

小さな爆発でおさまりそうです。

 

そうできたら、

自分を嫌になったりもしない。

 

 

だから、

「言いにくいこと」は、

 

自分の中に持っている

「押さえてしまった感情」に

早く気づけるサイン。

 

そして、それは、

「言いにくいこと」

だけではなくて、

 

いろいろなことに

当てはまることが

理解できるようになります。

 

怒りっぽくなって、

大声で怒るのも、

 

心配で、

ひとのことまで関わろうとするのも、

 

泣き虫になってしまって、

ささいなことでも泣いてしまうのも、

 

外出するのも億劫で、

人と関わることが苦手なことにも、

 

とても人に会いたくなる時も、

 

嘘をついてしまうことも、

 

実はその心の中に、

強く押さえ続けている

「感情」があるから。

 

「お菓子まで持ってきてあげたのに。」

「わざわざここまで来たのに!」

は、

 

喜ばせたいほど好きな友人なのに、

相手はそこまで思ってくれてないの

かもしれない。と、

 

自分の思いと

相手の思いを比べている状態。

 

「思い」なんて、

いつもコロコロ変化して、

自分でも

大きさや形の定まらない

不安定なもので、

比較なんて

できないものなのは

分かっているつもりでも、

 

「お菓子」や「費やした時間」で

無理やり測ろうとしている状態。

 

そして、

「与えた」のだから

「与えてもらう」ことが当然。

という考えがあるからです。

 

「与えてもらえない」ことに

不快感を感じている。

 

「与えた」は=「与えたかった」。

そうしたかった

自分の本当の気持ちが、

「見返りを求めない純粋なもの」

であったら、

 

「与えられ」なくても、

ぜんぜん構わなかったはず。

 

喜んでくれる相手を

見ているだけで

嬉しいものです。

 

でも、

 

「見返りを求めない純粋なもの」

でないから、

「与えてもらう」が当然。

と思い込んでいます。

 

さて、「見返りを求める」のはなぜ?

 

これも、いろいろあると思います。

 

自分の話を聞いて欲しかったから。

 

自分にも

何か喜びを与えてもらいたかった。

 

自分が友人で

良かったと思ってもらいたいから。

 

などということを求めていたのカモしれませんよね。

 

あ!

「疲れても、我慢してもらいたい。」

もありますね。

 

自分の中だけでも、

これだけいろいろな

感情を抱えていて、

それらが複雑に

絡み合っているのです。

 

だから、

相手がどう感じるか?なんて、

全くわからない。

 

気にすることはない。

と思っても

いいんじゃないか?

 

「言いにくいな」と思っても、

言ってみましょう。

その時、

「言いにくいな」と思った

自分を見つめてみましょう。

 

そうして、

 

大切な自分の「いま」を

自由に使えなくしてしまうのは、

 

自分の感情を押さえてしまう

自分自身なんだ!と

 

ひとつひとつ、気づくことで、

 

隠しごとのない、

素直なままの、

オープンな自分を

堂々と表現できるようになれるのです。

 

ほんとうに、ひとつひとつ。

これまで、いろんなことがあったから、

たくさんたくさんあるでしょう。

 

でも、一つでも気づけたら、

それだけ自由になれるのです。

 

「疲れた~!」

「嬉しい!」

「それは残念です~!ガッカリ。」

「ムカムカしたのよ~!」

「呆れたわ!」

「悲しかったの~」

 

これまで

言いにくいと思っていた、

表現できないと思っていた、

たくさんたくさんの感情を

言葉に出していくことで、

生き生きとした自分になっていきます。

 

私も、

事あるごとに、

うまくいったり、いかなかったりを

繰り返していますが、

 

自由は、

こうやって

自分で得られるものなのだと、

驚きながら楽しんでいます。

 

とても狭かった世界が、

少しずつ広くなって、

とても

居心地が良くなってきています。

 

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好きなこと だけ

好きなこと だけ

 

「好きなこと」だけって、

お料理の美味しいとこだけ。
みたいな感覚。

 

ケーキのクリーム だけ
チョコアイスのチョコだけ
カニのミソだけ。
サンマの皮だけ。
鍋物のお魚だけ。
卵の黄身だけ。
カレーの汁だけ。
スイカの甘いとこだけ。
ぶとうの熟れたとこだけ。
(^_^)

 

美味しいと感じるとこしか

食べない。

 

 

あとは
もったいないから
食べなきゃいけない。
と、思ってた。

 

ま、
わかりやすいので

食べ物でたとえてます。

 

もったいないから
食べますけど。。

 

 

「好きなこと」だけで
生きるって、
こんなイメージ。

 

写真は「豆炭こたつ」の

豆炭を入れるカセットです。

電気こたつのヒーター部分に

はめ込むタイプ。

 

泊めてもらった農家さんで、

97歳のおばあちゃんと話していた間に、

豆炭を焼べていただいて、

暖炉のようなホッとするあたたかさを

体験してから、欲しくて欲しくて。。

 

で、

いまは、我が家のリビングで、

わたしの「巣」と化しております。

(^_^)

 

 

とくべつ「好きな場所」

 

 

「好きなこと」

半年前は、聞かれても、
「え?なんだろ?」と
ちっとも浮かんできませんでした。^_^;

 

「あーーっ!! そうそう!」と
思い出したり、気づいたり。(^_^)

たのしみながら集めています。

 

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