「答え」は本人が持っているから

「答え」は本人が持っているから

私が資格をいただいた

RAS認定ファシリテーター®

 

自分の本質を生きることを

妨げる「感情」を

解放し終わっています。

 

それは、一番大切なこと。

 

自分の本質とのつながり

スムーズでないと

 

セッションは

できないからです。

 

 

クライアントの

「筋反射」という

身体の反応を

 

正確に読み取るためには

 

 

ファシリテーター自身の

内側が

整っていることが

最大の資格

となります。

 

 

私の「感情」が

邪魔をしてはいけないから。

 

✴︎見た目や年齢からの

先入観を持たないこと。

 

✴︎「こうしたら良いんじゃないのか?」

と、

判断しないこと。

 

 

✴︎「こうなって欲しいな。」

と、

願望を加えないこと。

 

✴︎「こうしてあげたい。」

と、

助けようとしないこと。

 

これらは全て

正確な読み取りの

邪魔をする。

 

筋反射を取る意味が

なくなってしまいます。

 

 

「答えは本人が持っている」

 

それ以外にはありえない。

 

 

それまでの人生での

環境や体験の積み重ね

 

そして、

これからの人生に必要なことは

 

誰一人として

 

同じものは無いから。

 

 

本人だけが

持っている答え。

 

 

とても純粋な

そして単純な仕組み。

 

 

ただ淡々と

「YES」「NO」の反応を

必要な手順を踏んで

 

通訳するだけです。

 

 

でも、

私も人間ですから、

 

日々の生活で

いろんなことが起こります。

 

 

「なんでこれ嫌いなんだろう?」

という小さなことから

「右の脇腹が痛い!」

「車をぶつけた!」

「うまく行かないな~」

揉め事や、

悲しいことも。

 

まだまだたくさんの

体験を積み重ねていきます。

 

 

その度に

 

自分の中にある答えを

探しに行きます。

 

全てです。

 

全ての出来事に

意味があるから

感じるから。

 

 

「答えは本人が持っている。」

 

 

その作業を

繰り返しながら、

自分自身で出来事を

作り出していることが

わかってきます。

 

そう「感じて」いるだけ。

ストレスと感じて いるだけ。

 

 

私がこうして

繰り返している

「自分と向き合う」

 

ことを

 

本人ができるようになる。

 

そのための

セッションです。

 

 

たとえお悩みの内容に

似たような体験をしていても

セッションの中では

アドバイスすることは

できません。

 

本人が

本人の力で

たどり着けなければ

意味がないからです。

 

本人だけが

たどり着ける力

 

 

その力を信頼しているから

セッションの意味があります。

 

 

どうしようもないと

行き詰まっている

ポイントだけを

本人の身体から

読み取ること。

 

 

これが、とても大切。

 

 

クイズの答えを知るよりは

「なんだろう?」

 

考える過程を楽しむことに

似ていますよね。

 

 

大切なのは過程です。

結果だけならジャンケンでいい。

(羽生善治)

 

この言葉。

好きなんです。

 

 

はやく答えが知りたくても、

 

クイズのように

万人共通の答えではないから

 

だからこそ

筋反射。

 

それを読み取る

セッションです。

 

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RASを始めたきっかけ

RASを始めたきっかけ

 

 

RASを始めたきっかけは、

 

教えていただいたことが

「とても面白い」

と、感じたからでした。

 

 

子育て中から始まった

ひどい腰痛が

長年の悩みでした。

 

 

RASは治療とは違います。

 

 

でも、私が感じていた

腰痛の「問題」。

 

 

そのストレスのせいで

 

自由に動くことを

自分で制限していたことを、

なんとかしたいと

思っていたところでした。

 

 

PTAの役員や

何かの仕事を引き受けたり

旅行に行くことなども、

 

途中で具合が悪くなり

責任を果たせなかったり、

迷惑をかけてはいけないと

億劫になってしまっていました。

 

 

腕の良い整体師さんを

紹介してもらって 通ったり、

良い治療法があると聞けば

いろいろ試してもみました。

 

 

とにかく動かすことが

良いことと思って

 

運動も、

いろいろやってみました。

 

 

無理して動いたあとには

ギックリ腰を

何度も経験しました。

 

 

 

腰痛という

「外側」にある問題は

 

私が心で感じていた

「内側」の問題を

知らせてくれている。

 

教えていただきました。

 

「感情」??

 

 

ワクワクしたり 嬉しいと

身体がポカポカしてきたり、

足取りも軽くなってきて、

 

感情は

身体に大きな影響を

及ぼしているとは

感じていましたが、、

 

 

辛いことがあると

不安になって 体温がさがり

手先が冷えたりすることも、

感じていたので、

 

なるべくマイナスの感情は

感じないように

注意していました。

 

 

どんなことでも

「受け取り方だ」と思って

 

頼まれたら

嫌なことでも我慢して

断らないことが

良いことだと信じていました。

 

 

メンタルトレーニング

を受けると

プラスの感情の言葉で

身体に力が入るので

重たいものも重たくない!

嬉しいこともありましたが、

 

マイナスの感情に

向き合うことなどは

習ったことが

ありませんでした。

 

 

むしろ、避けたい。

 

 

そんな感情を持ってしまうこと

自体が不快。

 

そんな感情を持ってしまう

自分が嫌い。

 

 

なんでも「嫌!」 と感じずに、

 

なんでも「大丈夫ですよ~」

(^_^)

 

と、心の広い

ひとでありたい。

 

 

だから、

いったい どんな「感情」を

私は感じていたのか?

自分の感情なのに

なんで分からないのか?

 

とても不思議に思いました。

 

 

マイナスの感情を

押さえている。

 

ことが、

 

実は「大問題」でした。

 

 

「押さえている」ということは

 

感じていたのに

感じたかったのに

 

「ダメ!」と断られるようなもの。

 

 

赤ん坊が

オギャーと泣こうとしている

口を

塞いでしまって

いるようなもの。

 

 

なぜ泣くのか?の

原因を解決できなければ

泣き続ける。

 

 

 

ハッキリと言葉にできたら

わかりやすいのに。。

 

感情も

そんなところが

ありますよね。

 

 

でも、

純粋だった

赤ん坊の感情表現が、

 

成長するにつれて

複雑になり、

 

言葉にできるようになっても、

 

親の顔色を伺ったり、

友だちの驚く様子で

反省したり、

 

次第に知恵を働かせ、

 

純粋に感情を表現できなく

なってきたのも

仕方のないことでした。

 

 

 

そして、

セッションを受けて

はじめて

 

私が押さえてしまっていた

感情が何かを

 

知ることができました。

 

 

その言葉は

私からストレスを

「解放」するために

覚えておかない方が良いと

言われました。

 

 

人によって違うものです。

 

 

ギックリ腰の痛みを抱えながら

その日のセッションを

受け始めましたが、

 

終わる頃には

身体が納得したのか

ずいぶんと楽になっていました。

 

 

どういうふうに

変化が起こるのかは

人によって様々なので

「こうなります」とは

言えませんが、

 

 

私は

「感情か。面白いな。」

意外な観点に興味を持ちました。

 

 

 

押さえていたら

自分の感情なのに

わからなくなってしまう。

 

どんな感情だったのか?を。

 

 

そして

同じように「嫌だ」と

感じる出来事で

より強く感じるようになる。

 

 

でも「嫌だ」は

マイナスの感情だから

それまでどおり

押さえてしまう。

 

 

この繰り返しを

重ねていって、

どうにも押さえきれない

ところまで

行ってしまった結果が

 

 

腰痛

そして

ギックリ腰

 

 

身体が動けなくなって

頼まれごとなど

引き受けるどころか

 

こっちから

人さまに

頼まなければ

いけなくなってしまう。

 

 

赤ん坊に

戻ったみたいに。

 

「やって~~!」

 

 

 

「なんでも 大丈夫。」で

いたいのに。

 

「なんにも できない。」

 

 

 

「あー

無理しちゃいけないな。」

程度なら

それまでも反省してましたが、

 

 

なんと原因が

「感情」だった

だなんて、

 

教えていただくまで

気がつきませんでした。

 

 

 

「面白いな!」と

ワクワクしながら

 

始めることに

なったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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問題は解決しようとはしないこと(離婚編)

問題は解決しようとはしないこと(離婚編)

 

「離婚したい!」と裁判をしていた時は、

「離婚できない」という「問題」の解決をしようとしていました。

 

【問題は解決しようとはしないこと】

 

実は、

その問題の根っこは「恐れ」でした。

 

【その時点で感じていた「恐れ」は】

 

「このままでは、一生 自由に生きられない。

生活を管理され、コントロールされ、

私は自分の感情を抑え続けなければならない。」

 

「私が正しい。」

と強く思っていたので、

同じ強さで相手は攻撃してきました。

 

子供たちまで不安にさせ、悲しい思いをさせながら、闘いを長く続けました。

 

ようやく

「離婚」できて、「問題を解決」したはずなのに、落ち着きませんでした。

 

 

【根っこの「恐れ」を残したままだったから】

 

 

自分を管理して、コントロールして、不自由にさせていた。

感情を抑え続けて我慢していた。

 

ほんとうの原因は、私自身にあった

 

だから、

 

自由になれたのに、

「これからどうしたらいいのか?」と

不安が日増しに大きくなっていくことを

どうしようもないまま、

あれこれと試行錯誤を続け。

 

「いつかは、身体がついていけなくなりそうだな」という不安も重なっていきました。

 

 

【「恐れ」は私が 私自身に対して抱いていた感情】

 

あのままいけば、きっと、無理をし続けて、病気になっていた。

先行きの不安から逃れるために動き続けて

安心を求めるあてのない彷徨の末の挫折。

 

裁判の相手は

それを知らせてくれただけ。

 

私が闘っていたものは、

私が作り出した幻想でした。

 

目の前の「問題」だと考えていたものは

本当の「私の問題」に気づくためのサイン。赤信号 だった。

 

 

相手は、心から心配してくれていた。

 

私や子供たちのことを。

 

相手なりのやり方で、それを解決しようとしていた。

相手が「正しい」と信じた方法で。

 

でも、

それを、受け取る私には

攻撃されているとしか思えなかった。

 

私の批判ばかりして、

自分の非を認めようとしないから。

動けなくさせようと

押さえ込む方法ばかりを仕掛けてきたから。

 

私は持ち前の思いっきりの良さで、

それまでしたことのないことばかりに挑戦して、

 

「バカにしないでよ!」と

行動で示そうとしていた。

 

自分が正しい。

自分には権利がある。

自分には行動力がある。

自分には能力がある。

 

相手に助けてもらわなくても

ひとりで人生を生きていく力があるんだ!

 

相手が間違っていて、

自分は正しいんだ!と強調するために。

 

それは「復讐」でした。

私が囚われていたことへの。

 

家族のために頑張ってきた。

家族のために我慢してきた。

家族のために尽くしてきた。

のに、

それを全く評価してもらえない

 

挫折感。焦燥感。

 

そして「怒り」を

 

動きまわり、いろいろなことをすることで

 

「復讐」という形で表現しようとしていた。

 

 

【私が気づいていなかった「大切なこと」を知らせるために 起こってくれた「問題」でした。】

 

「私が囚われていた」のではなく「私が私を縛り付けていた」

 

 

何か手立てはないものかと、「それまで学んできたもの」を いろいろ試してもみましたが、

攻撃されていると思い込んでいたので、反撃することしか思いつきません。

 

「相手の立場に立って考えましょう。」

↑そりゃあ離婚となれば都合悪いでしょうね。そっちが悪いんですから。

そちらの思い通りになんか なるもんですか!

 

「同じステージに答えはありません。離れたところから見るようにしましょう。」

↑俯瞰してみても、どう考えても 批判され攻撃されてるとしか感じられない!

誰が見たって相手が悪いでしょう!  私は被害者なんだわ!

 

「そういうことを改めて考え直す『暦』である。」

↑人生の転機ならば、仕方がない。結婚に向かない誕生日らしいし。

これまで我慢してきたことを爆発させるチャンスなんだわ!

 

「子供のことを考えて。」

↑子供まで管理して押さえ込もうとするなんて許せない。

私の方が正しいんだから、子供は私が守るんだ!

 

押さえきれない腹立ちまぎれに 愚かな考えを必死に繰り返していました。

 

自分が正しくて、相手が間違っているんだ!

 

こんな単純なことなのに、どうしてさっさと終わらせられないのか わからない!

 

自分の正義と相手の正義の違いや

価値観の違いなどにまで、配慮できない狭い心の中で、

 

ただただ「恐怖」と戦っていたのでした。

 

自分が間違っているなどと微塵も認めたくはない。 という「恐怖感」。

 

たとえ「離婚裁判」という形の問題とならなかったとしても、

違う形で必ず何かが起こっていたでしょう。

私が「大切なこと」に気づくまで。

 

【私がそれまで おろそかにしていたこと…自分自身を見つめること】

 

誰の人生なの?

誰の感情なの?

誰の身体なの?

それで幸せなの?

それで楽しいの?

そのままでいいの?

 

いやだ!

 

と 強い感情が生まれて、爆発したのは

この「離婚」という問題のおかげでした。

 

違う形で起こっていても、離婚はしたかもしれません。

でも、関わった人間に、もっと思いやりをもって話を進められたかも。

もっと穏便に、冷静に、お互いが納得して終わらせることができたかも。

 

しかし、

私は「離婚裁判」という戦いとなりました。

 

示談も、調停も、不調に終わってしまったからです。

相手が応じてくれなかったから。

 

でも、それも、私が頑なに「自分が正しい」と貫き通そうとしたから。

 

相手が私の「鏡」になってくれて、示談にも調停にも応じなかった。

 

徹底的に闘って、心に大きな傷を作り、精根尽きるほど疲れました。

 

そこまでしないと私は気づけなかった。

それだけ頑固で直情型で型破りだから。

 

気づかないままでいたら、

「幻想」もそのまま。

何か起こるたびに「幻想」に立ち向かうだけ。

 

【問題は解決しようとはしないこと】

  • その時感じる「感情」に注意を向ける。
  • なぜ、恐怖を感じるのか?
  • なぜ、そう受け取ってしまうのか?
  • なぜ、怒りを感じるのか?
  • なぜ、悲しいと感じるのか?
  • なぜ、焦ってしまうのか?
  • なぜ、自分が正しいと強調しようとするのか?

そして

それは、自分が自分に向けて していることではないのか?

「なんで そんなこと するの?」と受け取ってしまう攻撃は

私が自分にしていること」を教えてくれていた。自分自身を攻撃している。

【それが「問題の奥にある ほんとうに大事なこと」でした。】

 

  • 私は、私には力がない と 思っていた。
  • 自分の人生の責任を100パーセント請け負う自信がなかった。
  • 私は、真剣に自分を幸せにしようと向かい合っていなかった。
  • 私は、自分の意見を主張することを わがままだと思っていた。
  • 私は、できない自分を批判するばかりで、愛せなかった。

自分にこんな酷いことをしていた

 

それを教えてくれる出来事が、

家族や親戚を心配させ、巻き込んだ「裁判」という形で現れ、

離婚することになったのです。

 

心の底で、

認めたくないと思っていた感情。

私にほんとうに必要だったものを獲得しようとする「戦い」

 

そう!

「戦っていたんだ! 自分の心の中で!」

 

RAS®に出会ったおかげで、やっと気づくことができました。

 

あのまま知らないで、また新しい戦いを始めていたかと思うと

 

本当に、RAS®に出会えてよかった!

 

こんな仕組みだったんだ!と ここでやっとわかった!

 

【問題を解決しようとはしない】

「問題」と思ってしまっている自分の中にこそ 本当の「問題」がある。

ここが理解できれば、どれだけ平穏な気持ちになれることでしょうか。

 

ドタバタと動き回ることをやめて、自分と向き合う。

 

自分の「感情」を 自分自身に問う

 

「愛しているよ。大切にするからね。教えてくださいね。」

 

「そうなんだ!」と気づける度に 頑なで硬かった感情が溶けていきます。

 

そして、

自分の「正義」と他人の「正義」は 全く違うことを理解できました。

 

たとえ長年連れ添っても、

たとえ自分の子供であっても、

 

ひとりひとりの持つ「正しい」という考えは、全く違う。

 

「好き」「嫌い」が違うように、

 

「正しい」「正しくない」も違う。

 

 

RAS®の深い「解放」で

 

私は「愛してもらえない」と子供の頃から信じ込んでいたことがわかりました。

 

弟が生まれた瞬間だったようでした。

 

だから、たとえ愛してもらっても、それを信じることができなかったのでした。

 

「解放」したので、

「愛してもらえる」が始まりました。

 

素直に、愛を受け取ることができるようになったのです。

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’健康のために’嫌いなものを我慢して食べる?

’健康のために’嫌いなものを我慢して食べる?

 

「生たまねぎ」嫌いです。f^_^;

加熱すると食べれるので、スライサーは有難い道具です。

以前は「健康のために」という意識が強くて、

自分が玉ねぎ嫌いだと気づかなかった。

 

相当な鈍感。f^_^;

 

「我慢している。」ということが「あたりまえ」。

だって「身体に良いものだから。」

 

身体のために我慢する。

 

「我慢する」から調子が悪くなってたんだ!


気づいてから、

 

生玉ねぎが食べられなくなりました。

 

それにしても、

なんで、玉ねぎが嫌いなんだろう?

何か原因がありそうです。

 

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兄弟姉妹という環境

兄弟姉妹という環境

 

弟と手をつないで歩いた小さかった頃。

 

迎えを待ちわびて、保育園の

玄関のガラスに張り付いて

私を見つけた笑顔を

忘れることはありません。

 

どんどん変化する環境の中で、

一緒に驚き、楽しみながら、

ともに成長してきた同士。

 

兄弟姉妹は、

おなじ「家族」という環境設定のなかで

育てられながら

「ものの考え方」を学んでいきます。

 

だから、

性格や能力は違っても、

ものごとに対する「考え方」は

とても似ています。

 

 

私たち姉弟は、

とても厳しく躾けられたので、

 

「我慢しなくてはいけない」

 

という考えを、

とても強く握っていたようです。

 

ものごとがスムーズに進むのならば、

自分が本当にしたいことを

我慢するのが当たり前。

と、いつも思っていたのです。

 

結婚して、子供ができると、

「家族のために」

自分を犠牲にすることが、

良いことだとさえ思いはじめます。

 

仕事で疲れていても、

体調が悪くても、

 

「理想の家族」という形を崩さない

ことを最優先とすることで、

 

自分に課せられた責任を

果たしていることが

「良いこと」と信じて

満足してしまうのです。

 

順調に行っている間は良いのですが、

体調が悪くなったり、

経済的な支障が出てきた時に

問題が表面化します。

 

本来ならば、

それ以上の我慢を重ねることよりも、

 

家族に協力してもらって、

治療に専念したり、

 

出費を抑えるために

生活の内容を変えていけば

良いのですが。。

 

我慢を重ねているひとは

 

ひとに頼ることさえも、

我慢してしまいます。

 

家族に我慢をさせることは、

自分がワガママなのだ

とさえ思ってしまい、

 

その不快感よりは、

 

やっぱり自分が我慢をする方を

選んでしまうのです。

 

「我慢しなくてはいけない」という考えは、

「我慢できない」という感情を、

押さえて、

蓋をして、

なかったことにしようとします。

 

自分が「我慢」しさえすれば、

ひとに我慢させることはない。

 

それが「良いこと」。と、

それまで生きてきた中で、

自分で作り上げた考えに縛られ続けていると、

 

それを知らせるために、

出来事が起こり始めます。

 

それは、

 

「このままいったら、

 身体を悪くして、

 動けなくなってしまいますよ!」

 

という、身体からのサインであったり、

 

 

「それで、あなたは、

 本当に幸せなんですか?」

 

と、

考え直さなくてはいけない出来事。

 

たとえば、

さらに我慢しなくてはいけないような

状況にさらされることが起こって、

 

「え!これ以上は、さすがに我慢できないわ!」

となります。

 

そんなことが始まっているのに、

まだ

なかなか気づくことができないと、

 

さらに深刻なことが起こり始めます。

 

動けなくなって、

どうにもならなくなって、

はじめて、

「すみません!よろしくお願いします!」

 

と観念させられるのです。

 

 

我慢が「良いこと」なのか?

 

「感情」を押さえていることが

「良いこと」なのか?

 

学校の成績が良い人ほど、

この傾向は強いのでは?と、

弟を見ていて感じました。

 

結果に対する

執着が強いのでしょうか?

 

挫折を感じる経験が少ないと、

挫折する自分を

許せなくなるのでしょうか?

 

 

自分はどうしたいのか?

 

子どものように笑顔を見せてくれたり、

 

鼻を押さえながらガラスにへばりついて

迎えを待っていたり、

 

大声を出して怒ってくれたら

 

とても分かりやすいですよね。

 

 

弟は「病気」

私は「出来事」

で、観念させられて、

 

ようやく

「我慢できないです!すみません!

よろしくお願いします!」

 

と、なりました。

 

大変な出来事でしたが、

もし、それが無かったら、

 

さらに我慢を続けるという、

自分を自分の考えの奴隷

してしまっていたでしょう。

 

「考える」ことは、大切ですが、

「感じる」ことの

大切さを教えてもらうことは、

とても少ないように思います。

 

「感じる」ことこそ

「生きている」こと。

 

幸せな人生は「感じる」もの。

 

小さい頃から、社会に出るまでを

一緒に過ごしていた私たちが、

ここにきて、

 

一緒に大切なものを

見直すことになったのは、

 

「家族」という環境設定の中に、

 

実は、

大きな課題を持っていて、

 

それに気づくタイミングだったのでした。

 

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